へんてこな小説
ある高さ以下を自由に揚羽蝶
永田耕衣
明日、習志野の中学校は登校日らしい。
おかげで私は今日ひさしぶりに夜更かしができる。
今夜はウイスキーの代わりにコーヒーを何杯飲んでも平気だ。
(もちろん今夜も最後はウイスキーなんだろうが。)
昨日本屋で見つけた『私のいない高校』(青木淳悟)を今日の午後読んだ。
予想以上にへんてこな小説だった。
ある高校の1学期の日々が淡々となんだかへんてこな文章で語られる。
文章が「へんてこ」に見えるのは、書かれている視点が一般の小説とは全然違った場所にあるからで、それでなんとも不思議な文章になる。
作者も主人公もない文章と言おうか。
もちろん事件だって起きやしない。
そこにいる高校生にとっては大きな「事件」であるはずの留学生の編入とか修学旅行とかもあるのだが、それがちっとも事件にならない。
ならないように書いてある。
それのどこがおもしろいのだ、といわれそうだが、それがなんだかおもしろいのだ。
一番多く顔を出すのは2年担任の国語教師なのだが、だからと言って、一向その教師の内面に深入りしたりしない。
あえて言うなら「高校」という〈場〉が主人公の小説と言えばいいのだろうか。
高校生だった時には、あんなにもいろんなことがあったと思えた「高校という場所」が、ある予想された範囲内に収まっている場所であることが見えてくる小説と言おうか。
それが、ある種の心地よさをもたらす。
それがなんだかおもしろい。
読み終わったあと、飯を食いに外に出たら、市役所の脇の並木道に黒い揚羽蝶が飛んでいたので笑ってしまった。
今日引用の俳句を思い出したのだ。