活字中毒者の旅
君主がおのれの政体を防衛するときの軍備は自己の軍か、傭兵軍か、あるいは援軍か、混成軍かである。傭兵軍と援軍は役に立たず危険である。もしも傭兵軍の上に築かれた政体を持つ者がいれば、決して堅固でも安全でもないであろう。
― マキアヴェッリ 『君主論』 (河島英昭 訳)―
5日に金沢に帰る予定である。
慣れた旅である。
東京駅で缶入りの水割りとつまみを買い、新幹線に乗り込めば、4時間後には金沢である。
楽なものである。
とはいえ、その4時間をひとりずっと水割りを飲み続ける、というわけにもいかない。
それではアル中というものである。
越後湯沢の乗り換えでもうひと缶買って、まあ、2本が限度というものである。
帰りつけば、また彼の地で友人と夜飲むことになるのである。
私にだって、一応、理性はある。
体が持たない。
となると、列車の中で読む本を考えねばならない。
もちろん駅の本屋で適当に新しい本を買って乗り込むのだが、そうやって買い込んだ本とは、いわばマキアヴェッリ云うところの「傭兵軍」なのである。
どこの馬の骨ともわからぬものである。
これのみに頼るのは危険である。
その本がハズレだと、列車の中が地獄になる。(特に新幹線の中)
これは、駅弁のハズレよりひどいことになる。
だから、そんなときのための本(自己の軍)を前もって何か選んでおかねばならない。
想定外の出来事に備える必要があるのは何も原発に限ったことではない。
ところが、これがなかなか決まらない。
詩歌集系を一冊とあとほかのを二冊ばかり・・・・。
なにしろ帰りの汽車のことも考えねばならない。
思えば金沢で句会をやっていた頃は楽だった。
歳時記と誰かの句集をリュックにつめておけば、ほかに何も要らなかった。
北陸線に入って車窓から風景が見えるようになれば、
お、青田に風が渡ったぞ
とか、
お、日本海が真っ青だな
とか、なかなかいい気分で約束の十句ぐらいはなんとか手帳に書き留めることができた。
四時間はなかなか豊かな時間だった。
じゃあ、今だってそうやって俳句を作ればいいじゃないか、と言われそうだが、私、何事であれ、一種の義務感がないと何もしない。
だから、俳句もつくらない。
だって本を読んでる方が楽だもの。
というわけで、どんな本を詰めていこうか迷っている私なんですが、ほんと、何を持っていこうか。