あゝ、ボーヨー、ボーヨー
二人は、八幡宮の茶店でビールを飲んだ。夕闇の中で柳が煙ってゐた。彼は、ビールを一と口飲んでは「あゝ、ボーヨー、ボーヨー」と喚いた。「ボーヨーって何んだ」「前途茫洋さ、あゝ、ボーヨー、ボーヨー」と彼は目を据ゑ、悲しげに節を付けた。
― 小林秀雄 『中原中也の思ひ出』 ―
それは19991年8月2日のことだという。
勝田氏の青栗の写真に添えられた拙句が句会に出された日付だという。
はや落ちて何の青さぞ虚栗(みなしぐり)
あの日たしかに五人打ち揃って吟行に出かけた道に青栗が道に落ちていた。
それを、私はただ句にしただけなのだ。
それにしても、1991年8月2日である。
今から20年前の今日である。
20年前、私たちは皆30代だった。
今の俊ちゃんたちの年である。
そして、20年前、俊ちゃんも山田さんも美樹も上野さんも、みな10代だった。
大石君は小学生だ。
中也ではないが
あゝ、ボーヨー、ボーヨー
と呟きたくなるのである。
20年前、今、塾に来ている中学生はもちろん、高校生だって誰も生まれてはいない。
そのとき彼らはどこにいたんだろう?
彼らを後に形作ることになる炭素原子は、その頃、あのイラガの幼虫の角の先にいたのだろうか。
それとも、サクランボになって誰かの口に入っていたのだろうか。
あゝ、ボーヨー、ボーヨー
あのとき実なし栗の青さを句に詠んだ私は、この20年イガの色だけは茶色に変わったかもしれないが、何一つその内実を太らせてはいない。
相変わらずの虚栗である。
別にそのことを嘆くほどにもう私も「青く」はないが、それでもやはり、
あゝ、ボーヨー、ボーヨー
あゝ、ボーヨー、ボーヨー
である。
人生を述べて、ほかに何言うことあらんや!
あゝ、ボーヨー、ボーヨー
それにしても、本当の詩人というのは、酔ってつぶやいても詩人なのだなあ。