ポール・デルボー
町は核戦争後の世界のように不気味に静まり返っていた。通りには人っ子ひとりいなかった。それにもかかわらず、横断歩道の電柱についたボタンを押すと信号だけは点滅した。それは心臓はとまっているのに、血液だけは流れている奇妙な死体でも見るようだった。
― 佐野眞一 「大災害の光景」 (『本』8月号)―
今日届いた雑誌にこんな文章が載っていた。
福島原発の半径二十キロ圏内の住民を含めて全員立ち入り禁止となって三日後の四月二十五日 福島第一原発地帯に入ったときの光景だ。
3月11日の津波から1週間後に入った陸前高田の光景はこう書いてある。
市の中心部に入ったとき、日はとっぷりと暮れていた。暗い夜空には恐ろしいほど明るい満月がかかっていた。その冴え冴えとした月光が、瓦礫の下にまだたくさんの遺体が埋まった無人の廃墟を照らしていた。
それはポール・デルボーが描く夢幻の世界のようでもあり、上田秋成の『雨月物語』の恐怖と怪奇の世界が、地の果てまで続いているようにも見えた。
人っ子ひとりいない町で点滅する横断歩道の信号。
無人の廃墟を照らす冷たく澄んだ満月。
具体的な事物がそのとき心に浮かんだ比喩を本物にする。
たった数行の文章でぼくらはすべてを理解する。
描写とはこういうことだ。
それにしても、ポール・デルボーの絵に描かれた、あの声のしない不思議な世界が、本当にこの世に存在しうるとは。
本来夜空に「自分自身しか示さない」はずの月が他を照らすとき、それは死の世界になるのだろうか。