あんち・あんち・えーじんぐ
「水? 君、水かね。水は飲むものではなくて、泳ぐものなんだぜ」
― サローヤン 「川で泳ぐ三人の子供と、エール大学出の食料品屋」 ―
暑い。
外に出ると一面青空。
空のどこにも雲切れひとつあるじゃない。
この暑さに入道雲さえ湧いていない。
ただただ青い空。
そしてひたすら暑い。
40年前なら、むろん泳ぎに出かけた。
ぼくは水泳部だったし、高校のプールには自転車を五分も漕げば着いた。
でも今は買ってきたアジフライを肴にビールを飲むしかない。
もちろん、ビールを飲むより泳ぐ方が人間としては上等だが、事、おっさんに限れば、泳ぐよりビールを飲む方が人間としては上等というものだ。
人には年齢にふさわしい行動というものがある。
年をとれば泳ぎたいとは思わなくなる。
たまに泳いだりする奴がいれば「年寄りの冷水」と言われた。
それが普通だ。
とはいえ、今は、年をとってもプールに出かける人がたくさんいるらしい。
けれど、そんな人たちにしても、賭けてもいいが、絶対に若い奴らみたいに
暑いから泳ぎたい!
というんじゃないはずだ。
年寄りの体はそんな発想をさせない。
アジフライにビール
となる。
年寄りで泳ぐ人の多くは「健康」のためなんだろう。
けれど、人は「健康」のために生きているわけではない。
泳ぐことみたいに「子供にしかできない《冒険》」をしてきた子供に対して、引用の小説に出てくる、アボットさんという「エール大学出の食料品屋」さんのように、その話を聞いては
「わしらときたら、耕されてしまうぜ」
とか言うのが、正しい大人だとわたしは思うがなあ。
(引用の題名が長すぎて訳者名を書くのを忘れていました。
三浦朱門 訳 です。
ちなみに原文は高校のリーダーの教科書に載っていて、なんというおもしろい話だろう、と思ったものです。)