後裔
「『受領は倒るる所に土をつかめ』とこそ云へ」
― 『今昔物語』 巻二十八 ―
昔、信濃の国の国司に藤原陳忠(のぶただ)という男がいた。任期が終わって都に帰るとき、国司の乗った馬が深い谷に架かった懸け橋のたもとから足を踏み外して乗り手もろとも谷底に落ちた。
みんなが心配してのぞいていると、谷底から声が聞こえる。
籠に縄を付けて下ろせというのだ。
上の人たちはてっきりその籠に国司が乗って引き揚げろというのだと思って籠を下ろすと
「引っ張り上げろ」
と声がする。
ところが、引いてみると思いのほかに軽い。
見れば、籠の中に平茸(ひらたけ)というきのこが山盛りになっている。
なんじゃろか、これは、とみんなが思っていると、下からまた声がして、籠を下ろせという。
そこで下ろして引き揚げると今度は重い。
国司が乗っていたのだ。
上にあがって来た国司に、あの平茸は何ですか、と聞いたら
「落ちる途中で木の股にひっかかって助かったのだが、近くにたくさん平茸があったからもったいなくて取ったのだ。まだあったのに惜しいことをした」
と言うので、みんなが呆れて陰で笑っていたら陳忠は
「おまえら、道理に外れたことを言うもんじゃない。世間では『国司というものは倒れた所の土でもつかみとれ』というではないか。手に入る物は何だって手に入れて帰るのが国司というもんだ」
と言ったというのである。
この話は、平安時代の受領(任国に行く国司)層がいかに飽くことなく自分の私腹を肥やすためだけに任国に下ったかということの恰好の例として高校の日本史の史料集にも載っている話である。
国司というのは3年とか4年だけ任地に派遣されて、都へ帰る者である。
だから、その任期のあいだできる限りの富をかき集めようとする。
自分が帰ったあとのその国の領民が疲弊し飢え死にしても知ったことではない。
そこに「住み続けない」とはそういうことだ。
品のない奴はこうなる。
いくらアホでも、本人はもとよりその子、その孫もその土地に住み続けようとするとき、いかに領主とはいえあまりにあこぎな苛斂誅求は行えないだろう。
自分さえよければなんて行動はできない。
ところで、私たちはこの今昔物語の中の信濃の国司・藤原陳忠を嗤えるのだろうか。
私たちはこの国に、我が身のみならず子ども孫に至るまで「住み続ける」意思を持って物事を考え行動しているのだろうか。
今ある自分たちさえ豊かに楽しければと、増税はイヤと言いつつ返し切れないほどの借金を子ども世代に残し、、廃棄物の処理もままならぬ原発を作り続けた挙句、こんなにも悲惨な事故が起きたにもかかわらず
原発に依存しない社会を目指すべきだ
という首相の話を、だれもがなにやら鼻で冷笑してまともに考えようともしない。
自分たちが豊かに愉快に暮らせればあとはどうなろうとかまわないのだろうか。
藤原陳忠は「得した得した」と都に帰って行った。
私たちは生きている自分の得だけを考えて、いったい何をみやげにあの世に行くつもりなのか。
この話を書いた作者はこの段の終りに
これを聞いた人は陳忠をどんなに憎み、かつ笑ったことであったろうかとこの話を語り伝えたということです。
と書いて話を締めくくっている。