名前
ちいさき者ふたり、馬の跡をしたひてはしる。独(ひとり)は小姫にて、名を「かさね」と云(いふ)。聞きなれぬ名のやさしかりければ、
かさねとは八重撫子(やえなでしこ)の名成るべし 曽良
― 松尾芭蕉 『おくのほそ道』 (萩原恭男 校注) ―
なんとかならんのか、「なでしこJapan」。
実は女子サッカーなどにかけらも興味はないのだが、この名前を聞くたびにうんざりするのだ。
引用は『奥の細道』。
芭蕉一行が那須に来た時、あんまりしんどいので、野原で馬に草を食べさせているおじさんに頼んだら、
野夫といへども、さすがに情けしらぬには非ず。
というわけで、馬を貸してくれる。
そのあとを小さい子供が二人慕い駈けてくる。
一人は女の子。
名前を聞けば「かさね」ちゃん。
聞きなれぬかわいい名前なので芭蕉と一緒にいた曽良が
「かさね」というのはきっと八重咲きのナデシコの名なんだね
という俳句を作った、というのですな。
よい俳句です。
と、いうか、私、好きです。
ところで、なぜ、曽良はこの「かさねちゃん」を同じ八重の花でも、桜でもなく山吹でもなく、ナデシコだねと言ったんでしょう。
そして、芭蕉もまたなぜそれをよしとして『奥の細道』に載せたんでしょう。
それは、かさねちゃんが思わず頭を撫でてあげたいほどにかわいい女の子だったからです。
馬のあとから駈けてくる、ただそれだけでもかわいい。
だから、なでしこ。
この句を曽良が詠んだとき、にっこりほほ笑んだ芭蕉の顔が浮かびます。
ナデシコというのは、引用にもある通り「撫子」と書きます。
たぶん、古代の日本人は、細やかな葉の上に楚々とした花をつけるこの花の姿に、けなげでかわいい子供の頭を思わずなでなでしてあげたくなるのと同じような気持ちを抱いたからこう名付けたのです。
ひびきもやさしい。
さて、「なでしこJapan」。
すくなくとも私は頭を撫でたい気持にはなりませんが・・・・。