凱風舎
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4か月

 

 速須佐之男命(はやすさのをのみこと)、命(よ)させし国を治(し)らさずて、八拳須(やつかひげ)心前(むなさき)に至るまで、啼きいさちき。

 (ハヤスサノオノミコトは父親に命ぜられた国を治めもしないで、ひげが長く胸前に垂れる大人になるまではげしく声をあげてずっと泣きに泣いていたのでした。)

   ―  『古事記』 ―

 

 震災から4カ月がたちました。
 あのとき雪がちらついていた被災地も梅雨が明けて、今や真夏日が続いているそうです。
 時は流れます。
 季節は移ります。
 その中で、人々はもう悲しみを表にあらわさないかのようです。
 けれど、思えばあの初めの時から、被災地の人たちの多くは悲しみを外にあらわさずにいました。
 むしろ静かに堪えていました。

 一人の時は泣いたでしょうか。
  泣けばいいのに
と思っていました。
  悲しみはいつまでもいつまでも癒されなければいいのに
と思っていました。
 そう書きもしました。
 日本中が、世界中が親切そうな顔をして
  応援してるよ、私たちはあなたのそばにいるよ。
なんて言ったって、
  親切はうれしいけれど
  私がほしいのはあなたの応援なんかじゃなくて、生きているあの子、生きているあの人。
って、泣けばいいのにと思っていました。
 深い悲しみは安易な同情や共感をむしろ拒もうとするものなのですから。
 けれども、被災者の人たちはやさしすぎて自分の悲しみを口にしませんでした。
 あるいは生きることに手いっぱいで悲しむ暇すらないような4か月だったのかもしれません。
 けれど、こころゆくまで悲しまない限り、人に本当の慰めはけっしてやって来ないのです。
 だからこそ、早くその人たちが自らの悲しみを心から悲しめる環境をつくってあげられる私たちであり政府であればよかったのにと思っていました。

 古事記には母イザナミを失くしたスサノオノミコトが駄々っ子のように泣いて泣いて大人になるまで泣き続けたと書いてあります。
 おかげで、彼の涙に水が吸い取られて、木々に覆われた青い山々が枯れ山になってしまったほどだった、と。
 暑い日が続く今、そんなスサノオのことを思い出しました。
 震災から4か月 何十万という人たちが癒されようもなく心の中で泣き続けているからでしょうか、今年の東北の梅雨は早く終わりました。