アラビアン・ナイト
この季節は あかるすぎて
文字が読めないから
水の底の小石の数を かぞえよう
えのころ草の穂をしらべよう
― 岸田衿子 「この季節は あかるすぎて」 ―
朝の7時、外に出たら真っ青な空。
太陽はまぶしくて、もう見つめられない。
そして今日も暑い昼間だった。
あんまり暑くて、あんまり外がまぶしいから、そうだ、今日の引用はこれにしよう、と岸田さんの詩を思いついたが、金沢の家とちがって、ここには近くに川原があるわけじゃないし、外は暑すぎる。
結局はだあれも来ない休日をどこにも行かず本を読んで過ごしてしまった。
夜8時、外に出たら南の空に上弦を少し過ぎた月。
こんな暑かった昼間のあと、すこし涼しくなった空に月を見つけると、砂漠ばかりのアラビアの国々の旗に三日月が描いてあるわけがわかるような気がするな。
涼しい夜が来るごとに物語の中に物語がある物語を紡いで紡いで千夜一夜に及ぶわけもわかる。
私だって、昼間の汗を洗い流したあとは、美しく聡明なシャハラザードの傍らでその物語を夜明けまで聞いていたい。
でも、そのこと自体がすでに夢の中の物語みたいな話だね。
ところで、岸田衿子さんは毎晩違うお話をしたシャハラザードに対抗するみたいに、こんな詩も書いているよ。
一生おなじ歌を 歌い続けるのは
だいじなことです むずかしいことです
あの季節がやってくるたびに
おなじ歌しかうたわない 鳥のように
でも、こんなことを書くと、『セロ弾きのゴーシュ』の中に出てくる、あのまじめな「くゎくこう」に叱られそうだけどね。