おちょぼ口
「君歯はどうかしたかね」と主人が問題を転じた。「ええ実はある所で椎茸を食いましてね」「何を食ったって?」「その、少し椎茸を食ったんで。椎茸の傘を前歯で噛み切ろうとしたらぽろりと歯が欠けましたよ」「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々臭いね。俳句にはなるかも知れないが、恋にはならんようだな」と平手で吾輩の頭を軽く叩く。
― 夏目漱石 『吾輩は猫である』 ―
午後、やって来た高校生が質問もせずにやけに静かに勉強しているなと思って、本から目をあげたら保健のお勉強だった。
見れば、タバコの害と酒の害について!
これは大事なお勉強だな。
目の前に立派な中毒患者がいる。
はてさて、やることもないし腹も減ったと思って冷蔵庫を開けたら、昨夜のつまみの残りの豚足がある。
前野氏は焼肉に夢中で全然手を付けなかったから、まるまる残っている。
どれ
と英語のお勉強に変わった生徒の横でそいつを手づかみでむしゃむしゃかじっていたら、(ひどい塾だなあ)
ガキッ
とイヤな音がした。
まさか
と思ったら、その「まさか」で、入れ歯の歯が一本ぽろりと欠けてしまっている。
娘らに
イー
とやって見せたらケラケラ笑われてしまった。
鏡で見たらちょうど中央の前歯。
二日酔い顔にこれでは、マヌケ、を絵に描いたようなもんである。
折れるなよ、入れ歯!
『猫』の中の寒月君の椎茸は俳句になるかも知れんが、
トンソクで入れ歯
では恋はもとより俳句にもならない。
しばらくおちょぼ口で暮らします。