凱風舎
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放題と三昧

 

 ひたすらにケイタイいじるこの時間昔は何をしていたんだろう

 

            ― 狭山市 小塩 佐奈 《毎日歌壇 5・22》 ―

 

 毎月第一日曜日は、私の契約しているテレビでたくさんのチャンネルがただで見られる日です。
 昨日は、その第一日曜だというので、昼間から酒を飲みつつ阪神の試合にチャンネルを合わせれば初回から大量失点。
 なんだなんだと思いつつも、そのひどい試合を最後まで見続けた後、夜は囲碁の対局を見ておりました。
 見終えたら、頭がぼーっとして何も書く気力( というか、「脳」力)を失くしておりました。
 これ、痴呆を絵に描きたるがごとし。

 何かを得れば何かを失います。
 得たものに目が眩んでいる間は、失ったものは目に見えません。
 けれど、要らぬものは要らぬのです。
 気づくのはいつも遅いのですが・・・。

 勝田氏の至言中の至言に

   あなた、世の中に、三昧(ざんまい)と放題くらいイケナイものはないんですよ!

というのがあります。
  飲み放題!
  食い放題!
  見放題!
  携帯の電話、メールかけ放題!
 これらすべて人間をダメにします。
 欲望を解放するシステムは本来の人間のあり方を崩してしまう。
 本来人間が持っている節度を壊してしまう。
 引用の歌を作った小塩さんがどういう方か知りませんが、これはきっと彼女が、ふと我に還ったときのつぶやきにちがいありません。
  我に還る
 それは、とても大事なことです。
 
 ちなみに勝田氏がこの言を私に言ったのは、私が電話で
  「今日は読書三昧だった!」
と、イバッタときでした。
   読書三昧
のどこが悪い!と言いたいのですが、
 司氏と一日十局囲碁三昧!
とか、
 一日競馬三昧!
とか、並べると、たしかに「三昧」もいけないもののように見えてきます。
  何事も ほどほど が、一番よろし
というのが、勝田氏の教えです。
 ところで、ここにたどり着くまでに勝田氏にも若いころ「三昧・放題」( たとえば「恋愛三昧」!)の日々があったのでは、と邪推なされる方もおありかと思いますが、思うに彼がこの結論に達したのは、若き日、私や司氏、あるいは邑井氏、前野氏という
        三昧と放題の四天王
とも言うべき者らに囲まれ、そのテイタラクを目の当たりにする日々が続いたがゆえ、なのでございます。