あじさゐ
あじさゐの瓶にあふるる静けさに耐へつつをれば遠き風音
岡野弘彦
朝9時ころ、たばこが切れたので外に出てみたら、舗道が濡れてわずかに色が濃くなっている。
降る、というわけでもないから、雨、というわけでもなく、霧、というにはまるで密度が薄い、そんな小さな水滴が空気に浮いているのだ。
歩いてもシャツが濡れるわけではない。
少し湿るだけ。
なんとなく愉快な気分になる。
道端にアジサイの花がとりどりの色に咲いている。
白、赤、浅黄、紺、紫。
なぜだかよくは知らないけれど 習志野の市の花はアジサイということになっていて、そのせいばかりではあるまいが、この季節になれば町のあちこちによく目につく。
母が亡くなった年の六月、家に帰ると部屋に美しい藍色のアジサイが生けてあった。
勝田氏が一人暮らす母のところに一枝持って来てくれたのだという。
一人の部屋の中、母もまた「遠き風音」をそのアジサイに聴いていたのだろうか。
庭を背にした逆光の中、小さくすわっていた母の姿とともにそんなこと思い出す。
コンビニには、今日はセブンスターがなかった。
両切りピースを下さいと言ったら、10本入りでもやっぱり3箱までしか売ってくれなかった。
午後、昼寝から覚めてみたら外はもう日が差して道は乾いていた。