凱風舎
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成長する石

    

  信濃なる筑摩の河の細石(さざれし)も君し踏みてば玉と拾はむ

 

      ― 『万葉集』 (巻の第十四) 東歌 ―

 

 小学生の時、校庭に造った山に上からホースから水を流して、水の浸食・運搬・堆積ということを習いました。
 水が流れ始めると、見る見る土が削れ谷ができ、小石が流れ蛇行し、やがて下流には三角州が出現したのを目にして、なるほど川というものはそういうものだったのかと、いたく得心したことを覚えています。
 それからしばらくたった頃、今度は近くの谷に地層を見に連れていかれました。
 貝の化石も採れてずいぶんわくわくしたのを覚えています。
 さて、そのあと、先生が授業で「君が代」の歌詞について、
 「《さざれ石》というのはちっちゃな石っころで、《いわお》というのは大きな岩のことです。
  砂のように小さな小石が海の底にたくさん積もるとそものすごい重みになります。
  その重みの下で何千年も何万年もたつとそれは硬い岩石になります。
  あるときそれが隆起して地面に出て、今度はそこに苔が生えるんです。
  そうなるのはものすごい年月がかかるでしょ。」
と教えてくれました。
  なーるほど
と思いました。
 なにしろ、地層を見ましたからね。
  《千代に八千代に》って、そんな長い年月なんだ
って、はじめてわかりました。
 「君が代」って、すごい歌なんだな、と思いました。
 そんな科学的な歌だったとはしりませんでした。
 科学はもすごいが、「君が代」もすごい!
 それから、ずっと、私、「君が代」のこと、そういう歌だと思っていました。

 ところが、です、30歳を過ぎたころ折口信夫という人(これで「おりくち・しのぶ」と読みます。)のとても読みづらい本を読んでいたら、その中にとんでもないことが書いてあったんです。(「石に出で入るもの」)
 あの、ですね、そこには、
 古代の日本人は
   石が成長する
 と思ってた、
と書いてあったんですよ。
 というか、
   成長する石がある
と思っていた、というのです。
 もちろん「成長」というのは、自分で大きくなる、ということです。
  そんなあ!
です。
 でも、そう書いてある。
 いろいろ論拠を挙げて書いてある。
 そこから「君が代」の歌もできたのだというんです。
 つまり、あの「さざれ石」は自分で大きくなっていく石だというんです。
 びっくりしました。
 ちっちゃな石が自分で巌になっていって、そこに苔が生える。
 スゴイ!!
 
 ところで、折口氏によれば、どんな石が《成長》するかというと、それは中に
  たま (魂)=たましひ
のある石なんだそうです。
 そういう石を 
  たま (玉)
と言うのだそうです。
 そうなると、たとえば今日引用した東歌、折口氏は引用してはいないけれど、その意味は、単に
  
 信濃の国を流れる千曲川の、その小石でさえ、あなたが踏んだならば「宝石」として私は拾いましょう。

というんじゃないんでしょうね。
  愛するあなたが素足で踏んだ石は、私にとってはあなたの《魂》が入った石になるわ
ってことなんでしょうね。
 その思いが育っていく石です。
 そう思って拾うんです。
 深いですなあ。

 さて、蛇足ながら、この不可思議なる説を述べた折口信夫氏は、実は私の母校の校歌の作詞者でもあるのです。
 ところで、その校歌ですが、何年か前に勝田氏から送られてきた本によると、今、母校の生徒手帳には校歌の横に《現代語訳》が付いていると書いてあったのでげらげら笑ってしまいました。
 日本広しと言えど、校歌に「現代語訳」を付けてるなんてアホな高校はないでしょう。
 すごいなあ!
 でもね、しょうがないんです。
 さほどに、この校歌には、難解なる古語がふんだんに散りばめられているのですから。
 私らだって、全然意味もわからず歌わされていたんです。
 まあ、石に苔が生えるように、年ふれば、校歌にも現代語訳が付く、というものです。