凱風舎
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君が代

 

 

   健康で正しいほど
   人間を無情にするものはない。

 

       ― 金子光晴 「反対」 ―

 

 こないだ、野球を観に行ったとき、野球が始まる前に球場に「君が代」が流れた。
 いつから、こんなばかげたことが始まったのかしら。
 昔は主審が「プレーボール」の右手を上げ、サイレンが鳴って、それが試合の始まりだった。
 野球とはそういうものだ。
 なんで、「君が代」なんて流すんだろう。

 周りの人たちは立ちあがったが、ぼくはすわってビールを飲んでた。
 俊ちゃんもすわってビールを飲んでた。
 なんだか妙な気分だった。

 スコアボードのスクリーンに、選手たちがベンチの前に並び、それなりに神妙な顔をしているのが映っている。
 アメリカみたいに、あるいはサッカーの試合みたいに、手を胸に当てる、なんてバカなことをするのがいなかったのがせめての救いだ。
 野球選手は健全だ。

 ぼくの後ろの席のやつはちゃんと歌まで歌っていた。
 なんなんだろう。
 野球の前に「君が代」を歌って、そんなんでいいのか。
 よくわからない。 (こいつは試合中ずっと、隣のやつとなんだかんだと要らぬ解説を声高にしゃべる不愉快なやつだった。)

 ぼくは今上陛下が大好きだ。
 なんとすばらしい天皇さんだろうと思う。
 皇后陛下だって大好きだ。
 あの方の歌を読むとしあわせな気持ちになる。

  その帰路に己を焼きし「はやぶさ」の光輝(かがや)かに明るかりしと

 「はやぶさ」について、こんな歌を歌われる方が皇后さんでよかったなあと思う。

 でも、それだって、野球場で「君が代」を鳴らされるのはいやだ。
 それに合わせてみんな立ち上がるのはもっといやだ。
 そんなことするなよ。

 みんな一緒、は、キモチワルイ。
 少なくともぼくは、むかしから、ずっとそうだ。

 そんなこと思っていたら、金子光晴の引用の詩、久しぶりに思い出した。
 彼の言うとおり 「健康」と「正しい」が強制・強要される社会は、いつも人を「無情にする」のだ。
 そのことは忘れない方がいい。

 以下、全文を載せる。

 

     反対

           金子光晴

 僕は少年の頃
 学校に反対だった。
 僕は、いままた
 働くことに反対だ。

 僕は第一、健康とか
 正義とかが大きらひなのだ。
 健康で正しいほど
 人間を無情にするものはない。

 むろん、やまと魂は反対だ。
 義理人情もへどが出る。
 いつの政府にも反対であり、
 文壇画壇にも尻を向けている。

 なにしに生まれてきたと問はるれば、
 躊躇なく答へよう。反対しにと。
 僕は、東にゐるときは、
 西にゆきたいと思ひ、

 きものは左前、靴は右左、
 袴はうしろ前、馬には尻をむいて乗る。
 人のいやがるものこそ、僕の好物。
 とりわけ嫌ひは、気の揃ふといふことだ。

 僕は信じる。反対こそ、人生で
 唯一つ立派なことだと。
 反対こそ、生きてることだ。
 反対こそ、じぶんをつかむことだ。

            (1917年ごろ)