凱風舎
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年甲斐のない奴

 

 

みなさんはもしかすると、、「学ぶ」ということを、先生が有用な知識や技術を与えてくれる対価として、生徒がしかるべき対価を払うことで成立する「取引」のようなものだと考えてはいませんか?

 

    ― 内田樹 『先生はえらい』 ―
   

 

 今日、塾に「見学」だという女の子が来た。
 母親も一緒である。
 そして、母親も部屋の隅にすわった。

 言っておくが、私は気弱である。
 人見知りをする。
 新しい子が来ると緊張する。
 で、前からいる生徒だけを相手にして、新しく入って来た子に対してたいてい30分ほどはまるでその子がいないかのようにふるまうことになる。
  ( 生徒たちのあとからの話によれば、これは大変苦痛なものらしい。)
 それで気付かなかったのだが、見ると、その子は教科書もノートも持っていない。
  「どした?」
と聞くと、母親が
  「今日は見学のつもりでしたから。」
と答える。
 眺めるだけで塾の良しあしがわかると思っているらしい。
 私、英語の教科書を渡し、ノートを渡す。
 で、教科書を音読する。
 ところが、ふと目を向ければその子の口が動いていない。
 なんじゃろか、と思う。
  「君、声出して、読んでるかね?」
 私が聞くと
  「え、読んでません。」
と、また母親が答える。
 私、びっくりする。
 そして、むっとする。
  「別にかあちゃんに読んでもらいたいとは思ってないけど、君、声出してたかね?」
 母親の顔も見ずにその子に聞くと
  「出してませんでした。」
と小さな声で言う。
  「声も出さんで、どうやって英語を勉強する気や!」
と言った私のこれは相当大きな声。
 はじめてやって来たそのかわいい顔した女の子はかなりびっくりしただろうなあ。
 でも、これを読んでるうちの卒業生なら
   出ました!
とか言って、だれも驚かないことなんですが・・・・。
 まったくこの人には、とても塾生を増やそうなどという意欲があるようには見えませんですな。
 母親もその場にいるというのに、「常識」ある人とは思えません。
 これももまた「放題」です。
 
 でもね、テラニシは一貫して、テラニシを
   先生だ
と思ってくれてる奴にだけ先生だっただけなんです。
 それ以外には、ただの変なおっさんにすぎません。
 そして、どんな先生でも「先生」というのはそういうものです。
 そのことがわからないと人は何も学べません。