宝石
( 覆(くつがえ)された宝石)のような朝
― 西脇順三郎 「天気」 ―
朝、ヤギコにせがまれてドアを開ける。
眩しい朝日が玄関の中に入り込んでくる。
梅雨晴れ。
ドアの前で正座していたヤギコはうれしそうに駆けだしていく。
今日は誰も来ない日。
青空に窓を開け、豆を挽いてコーヒーを淹れる。
新聞の将棋欄を開けば、今日の名人戦第四局の棋譜は、たった一手だけ。
先手 1四歩。
羽生名人のこの封じ手に
「さっそく森内は長考に沈む。」
とある。
名人の1四歩の一手にも83分が費やされている。
この手の意味なんて、もちろんぼくにはわかりもしないのだけれど、ほとんどだれもが条件反射しかしていないように見える世の中に、こんな世界があることはなんとよいことだろう!
なんだかひさしぶりに豊かな気持ちの朝だ。
梅雨の晴れ間の明るい朝、もう心までキラキラ光る朝なんてぼくには遠いことだけれど、きっとどこかでだれかが、思わず
( 覆された宝石)のような朝
って、つぶやいていそうな、今日はそんな朝だった。