電車ごっこ
運転手は君だ、
車掌は僕だ、
あとの四人は電車のお客。
お乗りはお早く。
動きます、 ちんちん。
― 「電車ごっこ」 『日本の唱歌 大正・昭和篇』 (金田一春彦・安西愛子 編)―
子どもの頃、金沢にはチンチン電車が走っていた。
わたしの家からすぐのところにも電車通りがあり、そこを緑色の電車と桃色の電車が走っていた。
いまやワンマンバスやワンマン電車、JRの駅では自動改札があたり前の世の中になったから信じられまいが、当時はわずか10メートル余りの電車の中に、運転手のほかにもう一人切符を売る車掌さんがいて、電車が動くときには、ひもを引っ張って、チンチンと音を鳴らしていたものだった。
だから、わたしもこの歌を歌ったし、実際「電車ごっこ」もやった。
当時は炭俵や何かをしばるのにたくさんの荒縄が使われていたが、「電車ごっこ」というのはその荒縄を結び合わせて輪を作り、その中に子どもたちが一列に並んで、ただ、わっせわっせと前へ進むだけのあそびだった。
一番前にいるのが運転手、一番後が車掌、残りは乗客というわけだ。
たわいもないといえばたわいもない、ただの「ごっこあそび」である。
「ごっこあそび」というのは、言うまでもないが、そこに参加している者たちが、それが「現実」であると思い込みさえすれば、現実になりうるという子どもにとっては大変魅力的なあそびのことである。
どこから見ても、ささくれ立った古い荒縄に過ぎないものが、そうだと思えば電車の車体になったし、もしわたしが車掌役なら、新しく電車に乗り込む者には葉っぱか何かの切符を買ってもらわなければならなかった。
一方、おんなの子主催ののおままごとに参加する時は、欠けた陶器や板きれや上に載せた土まんじゅうを、あたかもごちそうのように
むしゃ、むしゃ。
ああ、おししかったあ。
などと言わねばならないのであった。
とはいえ、子どもでも、やっぱり縄は縄であることはわかっていたし、赤い花を散らした砂をお赤飯だと言われて食べる真似をするのは、さすがに子ども心にもばかばかしかった。
まあ、こんなものは普通の人は小学校に入って智恵が付くと、次第にやらなくなるものである。
「現実」と思いこめば現実になるなんてアホウなことがほんとにばかばかしくなるのである。
しかし、中には50,60になってもこの「ごっこあそび」が大好きなやつらもいるらしい。
自分たちが「現実」だと思えば、それが現実なのだと本気で思ってしまうバカが日本中から東京のど真ん中に集まって、深刻な顔を作ってみせている。
そんなもの、茶番だよ、って周りの大人たちは呆れているのに、本人たちは自分らがやっている「憂国ごっこ」こそが現実だと思い込んでいる。
子どもですら、土まんじゅうやお花のおかずでは一向おなかがふくれないことはわかっているのに、あの人たちはそれすらわからぬらしい。
永田町幼稚園に通っているごっこ好きの園児たちは、縄でできた電車を動かす人になりたくてなりたくて今日も朝から晩まで電車ごっこにあけくれしている。