「被災者」紫煙
よき友三つあり。一つには物くるる友。二つには医師(くすし)。三つには智恵ある友。
― 吉田兼好 『徒然草』 (第百十七段) ―
『徒然草』は随筆であるという。
随筆?ああ、エッセイのことね。
なんて思ってはいけない。ましてや
じゃあ、今で言う、ブログのことでしょ。
などと思ってもいけない。
全然ちがう。
第一、この人、
つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ。
(第七十五段)
(世間との交渉がなくなって、人も来ないのを、退屈だ、つまらんなどと思ってる人は、
一体どういうつもりでいるんだろうか。
独りでいるくらい、いい心持ちのことなんてこの世にないじゃないか。)
などとうそぶいているおじさんなのである。そんな人がブログなんて書きはしないのである。
だって、あの人に読者なんて要らないんだもの。
清少納言は、今生きていれば、間違いなくブログを書いているでしょうな。
鴨長明もたぶん書きます。
でも、この人は書きません。絶対!
じゃあ、『徒然草』って何よ、何のために書いたのよ。
と言われれば、それはまさにその有名な冒頭に書いてある通りつれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつけただけのもの、としか言いようがない。
あれは、ただのノート。備忘。
世の人々に、役立つ教訓や、お得な情報、ものの正しい見方を教えてやろう、なんてこれっぽちも思っていない。
読んでるやつを喜ばせようとか、おもしろがらせようとか、感心させようとか、そんなこと、すこしも考えていない。
ところで、なんで、あれがただのノートだとわかるのかと言えば、私だってノートを書いてたから。
まさか、自分のそれを『徒然草』と比べるほど、私も「をこ」ではないが、ノートに書いていた文章と、ここに書く文章は全然違うものになる。
自分に向けて書く文章と人に向けて書く文章はおのずとちがう。
それがわかる。
ところで、私のノートというのは、手帳に記す日々の日録とは別に、それこそ「心にうつりゆくよしなし事を」書いていたもので、そこには本の抜き書きやらその感想、日々の気象や子どもらのもらす言葉、はたまた腰折れ歌や戯れ句なんぞを何の脈絡もなく書いていたものだ。
時折、読み返せば、「ふふん」と笑みもるること、なきにしもあらず。
ところが、私、この二カ月余り、全く自分のノートを書いていない。
この《凱風通信》が始まって以来、全くそれを書かなくなってしまった。
時間がなくなった、と言うより、心の向く方向が変わった、と言うべきなのだろう。
内から外へ。凝縮から拡散へ。深化から説明へ。
うーん。
それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。
(「修羅街挽歌」)
中也にはこう言われてしまいそうな。
これはちょっとまずいね。
帰んなん、いざ
田園まさに荒れなんとす なんぞ帰らざる。
(陶淵明 「帰去来兮辞」)
です。
と、まあ、全然脇道に逸れてしまったけど、そんな兼好氏は
物くるる友。医師。智恵ある友。
の三つがよき友だと書いている。
でも、この人理由は書かない。説明しない。ただ、事柄を、ぽーんと放り出すだけ。
(こうなるのは、あれが自分のノートだからです、きっと。)
もっとも、これなら、説明抜きでもわかるな。
私、医者の友達はいないが、「智恵ある友」と「物くれる友」はいるもの。そのよさはわかる。
現に、こないだ《非常時》なんて書いたら、さっそく勝田・司の二氏からセブンスターが届いてしまった!
善哉!善哉!!
持つべきものは、真の良友です。物くるる友です。
俊ちゃんみたいに人の「不幸」を、あはははなどと笑っているのとは大違いです!
そう言えば、兼好さんはこの前に、友とするのによくないものとして
若き人。
をあげておりましたな。
むべなるかな。です。
ちなみに「酒を好む人」もダメみたいです。
たぶん、彼にも、テラニシの如く酒を飲んでわけのわからぬことを言い散らす友がいたんでしょうな。
可哀相に!
ところで、昨日、高村光太郎の詩にいたく感動している正しい高校生の美菜さんの 《おたより》 読んで、こんな短歌思い出したよ。
両手放しで自転車に乗る美少女のゆくえわからぬ朝の道かな
― 大滝和子 -
明日から新学期だね。
頑張れ、自転車こいでる日本の美少女たち!