いたみ
(考えださなければならないことを
わたくしはいたみやつかれから
なるべくおもひだそうとしない )
ー 宮沢賢治 「青森挽歌」 ―
ありきたりの言葉ではなく考えるというのはとても大変だ。
なぜ自分がそんなふうに感じるのかを自分の言葉で考えるのはとても大変だ。
ほんとうはそんなことはしなくてもよいのかもしれないけれど、どうしてもそうしなければならないと命ずるものがあって、そうしようとするのだけれど、結局は何の答えも出ずに同じ場所に立ち尽くしている自分を見つけるだけだったりする。
私にだってそんなことがあったが、別にたいしたこともない。
気がつけばそんな答えの出なかった問いばかり周りに積み重ねて58年生きてきたなんてなんとも可笑しな人生だと思ったりするのだが、別にだからといって自分の人生が不満だというわけではない。
既成の言葉でつじつまを合わせて、それが考えることだなどと思い込んでそれ以上考えずにいたらもっとつまらない人生だったろうと思うばかりだ。
宮沢賢治も、もちろん自分の言葉で考えた。
詩人とはそういうものだ。
その賢治が引用したこの詩で
考え出さなければならないこと
と言っているのは、妹のとし子の死のことだ。
だが、彼が言う 「いたみ」とは、最愛の妹の「喪失」を指すのではない。
そうではなくて、彼が言う 「いたみ」とは、彼女を「殺してしまった」のは自分だったという思いなのだ。
彼が「考え出さなければならない」のは、一番殺してはいけない者を殺してしまった自分のことなのだ。
…などとこの詩について書き始めれば、三日かけても終わらないとてつもなく長い文章になりそうだから、やめておこう。
そう。テキストのあるものは考えやすい。
考えても考えてもわからないのは生身の人間のことだ。
「自分が殺してしまった人間」のことだ。
そして「一番殺してはいけない者を殺してしまった自分」のことだ。
それを考えることは徒労に決まっている。
けれど、そうせずにはいられない人はたくさんいるのだ。
賢治と同じことを鮎川信夫はこんな風に書く。
Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
― 鮎川信夫 「死んだ男」 ―
あるいは北村太郎はこう書く。
君はなぜ錘りのような涙をながさないのか。
― 北村太郎 「センチメンタル・ジャーニー」 -
津波で何もなくなった東北の肉親や最愛の人たちを目の前でなくした多くの人たちは皆、今もどこかで自分を責めながらいる。
罪は裁判所が決めるのじゃない。
罪を責めるのは他人ではない。
罪を思い罪を責めるのはいつだって私たち自身の心だ。
「一番殺してはいけない者を殺してしまった自分よ」 と。
JA花巻の倉庫の壁の賢治は俯いている。
俯きながら歩いている。
今東北の大地をたくさんの賢治たちが俯きながら歩いている。