反時代的大学生
長生必ずしも多福ならず、夭折必ずしも薄幸ならず、彼らの去来は固(もとより)吾人の関するところにあらずして、天の命ずるところなるのみ。既に生きてさばかり勤労を要する世に在りて、爾(しか)く自ら楽しむ吾人よ、なんぞ一の勤労なき幽界に入るの安きを思ひ、カイ然としてその導くに任せざる。
方便の「楽」に惑ひ、幻影に執し其本を忘れ、末に拘りて却りて死を憎まんとする又愚ならずや。
予は此死に導かれて後、天国に登り、極楽に行かんことを企図せず、寂然として眠れば足れりと為す者也。
― 尾崎紅葉 『生死論』 ―
大阪のはずきさんの今年の目標は
文学少女になること
なのだそうである。
やがて二十歳になろうとする大学生のお姉さんが「少女」であるかどうかはわからんが、またなんでそんな目標を立てたのかのかも知らないが、ともかくもそういう目標を立てた彼女からこないだ電話があって
今、『金色夜叉』を読んでるの
と言ってイバッテおった。
うーん。
あの人、たしか英文科である。何を基準の『金色夜叉』かさっぱりわからんが、まあ、あれは、めちゃくちゃ味濃いの韓流ドラマみたいなもので(と言うて観たことはないのだが)、読めばおもしろいに決まっているが、なにせ中途で終わってしまっているからなあ。
そのあと、尾崎紅葉は 『続金色夜叉』
『続続金色夜叉』
『新続金色夜叉』
と続きを書いたけれど、結局途中で作者が死んでしまったから、貫一とお宮の最終的運命はわからんのよ・・・などと言ったら、はずきさん、読む気がなくなるかもしれないから、言わなかったけど、もうきっと読み終わったころだから、バラしてもいいよな。
その紅葉は、胃癌で三十六歳で死ぬその三カ月前に今日の引用を含む短い文章を書いている。
絢爛たる修辞で小説を書いた紅葉の恬然と死を迎えるとした文章が私にはすがすがしい。
それにしても、こんな時代に『金色夜叉』なんぞを読んでいるなんていう「反時代的大学生」がいるのはなかなかよいことです。