だまされたかった者たち
鮪の刺身を食いたくなったと
人間みたいなことを女房が言った
言われてみるとついぼくも人間めいて
鮪の刺身を夢みかけるのだが
死んでもよければ勝手に食えと
ぼくは腹立ちまぎれに言ったのだ
女房はぷいと横をむいてしまったのだが
亭主も女房も互いに鮪なのであって
地球の上はみんな鮪なのだ
鮪は原爆を憎み
水爆にはまた脅やかされて
腹立ちまぎれに現代を生きているのだ
ある日ぼくは食膳をのぞいて
ビキニの灰をかぶっていると言った
女房は箸を逆さに持ちかえると
焦げた鰯のその頭をこづいて
火鉢の灰だとつぶやいたのだ
― 山之口獏 「鮪に鰯」 ―
沖縄に戻った加藤君から、こないだ
寺西大先生様
という宛名の宅急便が届いた。
中身は大量の《塩漬けもずく》で、それがどれぐらい大量かと言うと、ビニール袋に重さも量も広辞苑ほどのもずくを詰めたのが二袋。
スーパーで売っているカップに小分けしたモズクなら1000個くらいは優に取れそうな量である。
どう考えてみても、これは過去10年間に私が食べたモズクの総量よりもはるかに多い。
というわけで、それから毎晩、加藤君が沖縄で採ったモズクを水で塩抜きして酢を垂らしてはそれを肴に酒を飲んでいるのだが、これがすこぶるうまい。
で、昨日も酒を飲みつつ、沖縄と言えば山之口獏だな、などと詩集を開いたら、上のような詩が出てきた。
もちろんこの詩は、自分たちの貧乏を笑ったものだが、一方でビキニ環礁での水爆実験の怖さをちゃんと詩にしたものだ。
第五福竜丸事件はぼくらが1歳か2歳のころだったが、ぼくらが物ごころついてからも原爆や水爆の実験があるたびに、ぼくたちは、雨の日、外で濡れたりすると母親にえらく叱られたものだ。
放射能の雨に濡れると頭が禿げるとおどされたものだ。
はてさて、と詩を読みながら私は思ったのだ。
あれほど、放射能に敏感だった日本人がなぜ、原発を海岸に並べて平気でいられるようになったんだろう、と。
安い石油で支えられてきた高度成長が石油ショックでとまったとき、エネルギーがなくなることの怖さを肌で感じた日本人は、それまで手に入れてきた物質的豊かさを失うことを何より恐れたということなのだろう。
愚かな!
と言う権利をもちろん私は持たない。
私もまた日本人として、原発に支えられた物質文明を享受してきたのだから。
チェルノブイリの事故が新聞に報じられたのは4月の29日だったと記憶している。当時の天皇誕生日。あのとき中学生だった俊ちゃんや山田さん美樹ちゃんたちに、塾のすべての時間をつぶしていかに原発は怖いものかを話した私も、いつか原発に慣れてそんなことを中学生に語らなくなって来ていた。
それはまた多くの日本人もそうだったのだと思う。
小さな(本当はそうではなかったのかもしれないが)事故が起こるたびに眉をひそめつつも、それが大きな事故にまで発展することはないはずだと、どこかで私たちは思っていた。
だまされていた、とは言わない。
なるほど、「安全神話」は電力会社やそれに連なる人々が作り上げたものかもしれないが、それは私たち一人一人の中でもなんとなく「神話」になっていたのだ。
少なくとも誰も信じなければそれは「神話」ではなく「おとぎ話」となっていたはずなのだから。
詐欺にかかる者は、いつだって、だまされたがっている人たちだけなのだ。
などとと、今日もモズクを肴に考えたことであった。