我不関焉
大正一二年(一九二三) 一七歳
東京戸塚で父仁一郎死去。享年六十五歳。父に対してはむしろ無関心であったが、このころ地方政治家としての父の自伝を読み、そのスケールの小ささを知って、軽蔑の念を抱くようになった。
― 坂口安吾 角川文庫年譜 ―
統一地方選挙後半戦らしい。
そんなこと知らない、と言っても、こないだから名前を連呼するだけの街宣車がときどき通るのでそれとわかる。
今朝の新聞を見れば人口16万人の習志野市は市長候補だけで五名もいるらしい。
しかも、どういうことかよくわからんが、そのうち3人が自民推薦候補とか。うーん。
人相風体も似たり寄ったり。
みんな何を基準に投票するのやら、周りの人に聞いてみたい。
すくなくとも、図書館の本を充実させる、てなことを実行しそうな顔はない。
まあ、そんなことを思う者はそもそも市長なんかに立候補はしないんだろう。
そもそも選挙前から街角ごとに自分の大きな顔写真を並べて平気でいられるのは尋常の精神ではない。
しかし、皆精神が尋常でなくなるほどに、
乃公(だいこう)出でずんば
と習志野市の将来を思いつめているのだろう。
エライものである。
とはいえ、
頑張っております。△△です。
ありがとうございます。
とか以外の日本語は言えんのかなあ。
それでも
元気モリモリ、森田です。森田健作です。
などと連呼して中学生たちの失笑を買っていた知事選よりは静かなのは震災のせいだろう。
それはそれでありがたい。
引用は、作家の年譜の中で一番愉快な安吾からだが、悪意がありすぎたでしょうか。
まあ、これら候補の息子さんの中に第二の安吾がいれば、親爺も立候補した甲斐があるというものかもしれない。