凱風舎
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ボレロ

 

 

 

「踊れ」と彼はいう。「なんでそうわれとわが身をお苦しめなさる。それが君の自由というものかな――その自己拷問が。まあ一寸踊り給え。それ、それ、手足がむずむずしてきたぞ。もういい加減に手足を自由にさせてやってはどんなものだろう。ほら、もう踊ってるじゃないか。戦いは終わりましたぞ。さてもうおたのしみあるばかりだ。」

       ― トーマス・マン 『マリオと魔術師』 (高橋義孝 訳)-

 

 ラヴェルに「ボレロ」という曲があります。
 ご存知のように、これは同じ楽節をひたすらひたすら繰り返すだけの音楽です。
 もちろん、単に繰り返すだけではありません。
 はじめ最弱音で始まった音楽は、楽節を繰り返すたびごとにその音をすこしずつ大きくしてゆきます。
 はじめ何気なく聞いていた耳がそれを追いはじめます。
 参加する楽器も増えていきます。
 やがて人は次第に興奮してきます。
 興奮してくるのは聞いている人だけではありません。
 音楽自身も同じことを繰り返す自分に酔ったかのようにますますその音を高めていきます。
 そして、音楽が絶叫に近いほどの最高潮に達したとき、曲はまるで糸を切られた操り人形がへなへなとつぶれるかのように突然終わってしまいます。
 堀田善衞氏は十代のはじめのころコンサートで初めてこれを聞いて、曲が終わって気づいたとき、ズボンの前が濡れていた、とその自伝的小説に書いています。
 幸か不幸か私にはそんな経験はありませんが、聞くたびに、何やら、おそろしい音楽だと思ってしまいます。
 どんな音楽もそれ聞く人の心を支配するものだということは知っていますが、この曲を最後まで聞くと、なんだか自分も、あの曲に操られていた人形だったみたいな気がしていつも後味が悪いのです。
 アンソールの絵から出てくる悪意と同じ気味の悪さ、とでも言いますか・・・。
 あんなふうに曲を終わらせた作曲者は
  「へへ。 どうです? あなたもやっぱりこの曲にのせられたでしょ。」
と、人をバカにして笑ってるような気がしてくるのです。

 ・・・とまあ、こんなことは全然書く気はなく、ただ、
   昨日の文章はただただ同じことを次第に大声で繰り返す「老人性ボレロ症候群」だよなあ。
   よくない。よくない。
ということを書こうと思って書き始めただけなんですが・・・。
 全然話が変わってしまったので、引用の文も気持ちの悪い催眠術師が出てくる『マリオと魔術師』に変えてしまいました。
 なんだか、私にはラヴェルがチポルラという悪意を持ったその催眠術師みたいな気がするので・・・。

  今日の短歌

     二日酔いの無念きわまる僕のため電車よもっとまじめに走れ!      福島 泰樹