野遊び
ははそはのははもそのこも
はるののにあそぶあそびを
ふたたびはせず
― 三好達治 「いにしへの日は」 -
毎年五月の連休が始まる頃、母と近所のおばさんが小学生のぼくを近くの山に山菜採りに連れて行ってくれた。
お茶の入った水筒を肩に掛け(その頃のぼくらの水筒のキャップには必ず小さな方位磁針が付いていた!)、リュックサックにおにぎりとちょっとしたおかしを入れてもらって出かけるその日は本当に楽しみだった。
同じ山歩きでも、それは、学校で出かける遠足とはまるで違うものだった。
日当たりのよい岡のそこここで頭をもたげるワラビを見つけ、ちょっと陰った場所で綿をかぶったゼンマイを採ることは、同じ何かを探しそれを見つけることでも、秋の日ドングリを拾うこととは違っていた。
そして、気持ちよく晴れあがった空の下、さわやかに吹く南風(今思えば、あれが「凱風」だった!)を頬に感じながら食べたおむすびのうまかったこと!
動物園や遊園地にだって連れて行ってもらったのに、本当に幸せな気持ちで覚えているのはあの野遊びだ。
私の中では、お弁当を持って光あふれる春の野に母と出かけたことが、母と子の黄金時代の象徴なのだろう。
小学校を卒業すれば、もう母子で野遊びなどしなくなる。
・・・・などということを思い出したのは山田さんの山菜弁当のおたよりを見たからなんだけど、あなた、ゼンマイってアクが強いから、茹でて日に干してからじゃないと食べられないでしょ?
ワラビはアク抜きすればその日のうちに食べられるけど(私、酢醤油で食べるヌルヌルしたのが好きでした。まあ、そんなの40年は食べてないな。)、私の記憶が正しければ、ゼンマイは、日に干して茶色になってから食べる。
ナムルの中にある、あの茶色い奴がゼンマイだよ。
だから、山田さんが食べたのは、きっとコゴミだね。ゼンマイのいとこみたいなやつ。
今日の短歌
朝の雨桜の花に乾くとき濡れて静かなる幹ありにけり
竹山 広
寒冷前線が降らした雨は朝には上がっていたが、今日は一日肌寒かった。
公園に行くと、まだ幹は静かに濡れたままだが、桜の花びらはすでに乾いて明るい色を空に揺らしていた。
竹山広が歌ったのはそんな桜の樹のことだ。
だが彼は花よりも濡れている幹を歌う。
それはまた心の濡れていることを見せずに明るくふるまう人々の生のありようを歌ったもののような気がする。
あるいは、それに気づける人だったからこそ、濡れた桜の幹を歌えたのだと。