我々は貧しくなる
今からのことを言えば、我々は貧しくなる。それは明らかだ。
― 池澤夏樹 「春を恨んだりしない」(『始まりと終わり』 4/5朝日夕刊)-
ああ、そうなのか。
そう思った。
その通りだ。我々は貧しくなる。間違いなく。
日本は貧しくなる。
どの程度か、それは知らない。日本は貧しくなる。
そのことを覚悟していなくてはならない。
もちろんこの震災がなくても、じりじりと日本は貧しくなっていくことになっていた。
人口の減少。地方の疲弊。
にもかかわらずかつての「成長神話」から抜けきれない人たちは、その意味を正確につかまえることができないでいた。
そうやって、日本は緩慢に、だが確実に衰退に向かっていた。
けれど、何十兆ともしれぬ被害をもたらした今回の災害はすぐにも私たちの前にそれを連れてくるだろう。
ウソかマコトか知らないが、いきなりお湯に入れればすぐにそこから跳び出す蛙も、水から徐々に温めていけば、それが死に至るとも知らずそのまま湯に浸かって死ぬのだという。
震災、津波、原発事故・・・それは私たちには熱すぎるお湯だったかもしれないが、私たちが浸かっていた水が、実は衰亡へと向かうぬるま湯だったことに気づかせてくれたものとしなければならないのだと思う。(被災された方たちにこんなことを言えば怒られることは重々わかっているのですが。)
我々は貧しくなる。
だが、私たちに貧しくなることへの怯えや怖れではなく、貧しくなることへの覚悟さえあれば、そこに希望もあるのだと私は思う。
希望とはそんなものだ。
覚悟の伴わずに語られる「希望」とはいつだって夢物語か寝言にすぎない。
今、日本中の人たちは息をこらしながら目は常に東北に向けている。そして、それぞれの場所で自らの為すべきことを為している。
それは私たちの静かな覚悟の表明のような気がしている。
話はとぶ。
もう、十年も昔になるだろうか、勝田氏が「自選百人一首」を作ると言うので、私も真似をしてそれを作ってみたことがあった。
ああ、これはいいな。こいつもすてきだ。
と、毎夜歌集を広げてはノートに抜き書きを作り、そこからまた百首を選んでいたその半年ばかりはとても愉しい日々だった。
そうやって百首を選んだものは人にやってしまって手元にはないが、そのために作ったノートが棚の奥から出てきた。
読めば、いい歌がたくさんある。
これから、毎日ではなくても、その中からその日の心に似合う歌を載せていってみようと思う。
とりあえず、今日は宮沢賢治。
今日の短歌
わがために待合室に灯をつけて駅夫は問ひぬいづち行くやと
宮沢賢治