戻る人
わらにまみれてよ 育てた栗毛
今日は買われてよ 町へ行く
あーあーああ( おーら、おーら 達者でな)
あーあーああ(おーら、おーら、風邪引くな )
ああ、風邪ひくな
離す手綱が ふるえ、ふるえるぜ
ー 三橋美智也 「達者でな」 -
夜7時のNHKのニュースは福島の原発の水に今度は基準の1000万倍以上というとんでもない量の放射能(測定器械の針が振り切れて測定できなかったそうだ)が漏れ出ているという話を伝えた後、その原発の周囲の立ち入り禁止地域の自宅の戻っている人が50人ほどいるという話を伝えていた。 中には原発からわずか1キロの自宅に戻っている人もいるんだとか。
えーっ!まさか!
なんでも、荷物や何かを取りに行ったのだという。
そんなことのために・・・。
と思っていると、中に、酪農家で置き去りにしてきた牛の世話に戻った人もいるのだと聞いてせつなくなった。泣きたくなった。
戻るように呼び掛ける自衛隊の人はたいへんだけど、でも
そりゃあ、戻ってやるよなあ
と思った。
宮崎の口蹄疫のときもそうだった。人は手塩にかけた生き物をそんな簡単に見殺しにできるものじゃないのだ。
理は、そうしろと命じても、情がそれを拒む。
それが、人間というものだ。
三橋美智也が「達者でな」を歌っていたのは、まだテレビがカラーじゃなかった時代のことだ。ここに歌われている馬は「町」に行くのだ。荷車を引くためだろうか。別に殺されるわけではない。それでさえ、こんなにもせつなくその馬との別れを歌った歌が共感をこめて日本中で歌われたのだ。(私は今だってソラで歌える。)
今は非常時だ。それは認める。
けれど、そんなことは抜きにしても、ほんとにぼくたち日本人はここ50年の間に「人間のこと」ばっかりしか考えない人間になっていたのではないだろうか。
きっと、ぼくたちが受け継いできた「日本人のDNA」と称してきたものは、放射能以前に「文明」とか「功利性」とかいうものにすっかり汚染されてその遺伝子に変異を生じていたのかもしれない。