こどものくつ
小さな靴が玄関においてある
満二歳になる英子の靴だ
忘れて行ったまま二カ月ほどが過ぎていて
英子の足にはもう合わない
子供はそうして次々と
新しい靴にはきかえていく
おとなの 疲れた靴ばかりのならぶ玄関に
小さな靴は おいてある
花を飾るより ずっと明るい
― 高田敏子 『小さな靴』 ―
今日、恵理さんが来た。
快君とさくらちゃんも一緒だ。
快君は4歳、さくらちゃんは2歳。
こないだ来たのは、さくらちゃんがまだ赤ちゃんだった頃。
二人とも大きくなった。
だから、ちゃんとぼくにあいさつする。エライな。
でも、はじめはぼくの方に近づかない。
目はじっとぼくの方を見ているのに、二人ともけっして手はお母さんの体から離さない。
そこにつかまってれば絶対鬼に捕まらない鬼ごっこやってるみたい。
でもね、そのうちぼくがコワクナイ人だってわかったんだね、そうなったらもう、たいへんだ。
膝に乗り、背中を押し、耳元でないしょのひそひそ話をしてくれる。ぜんぜん、何言ってるかわかんないんだけどね。
一人暮らしをしてると、こんなあけっぴろげな体の接触なんてないもの、なかなか楽しかった。
お絵かきもした。
快君がホワイトボードに最初に描いた絵、四角いところから二本ツノみたいのが出てるから、
「お、これ、鬼か。」
って聞いたら、
「かに。」
って言う。
そのかにの目は甲羅のまん中にあった。
次に描いたものは、「ひらめ」。
うーん。
快君はおさかなが好きらしい。
さくらちゃんもお兄ちゃんのまねをしてお絵かき。
でも、描くのはただの線だけなんだね、二歳って。
それを思うと、子供って、ほんとにものすごい時間をかけて、ゆっくりゆっくり大人になっていくんだね。
三時間ぐらいいたのかな。
玄関でレインコートを着て、お靴を履いて、バイバイしようとしたら、さくらちゃん、靴の左右がさかさまだよって、おかあさんに言われてた。
子供って、右足も左足も一緒なんだな。
で、もう一度履き直し。
「またね。」
って帰って行った。
たのしかった。
というわけで、今日は高田敏子さんの詩。
ほんとにお花より子供の靴の方がずっと明るいな。
でも、ずっと疲れるな。
追伸: 《タッパーじゃなかった!》
今朝K氏より電話で私の「もの知らず」ぶりがまた明らかになりました。
あの大腸がん検診にはちゃんとそれにふさわしいキットがあるんですな。
何やら注射器様のもので、少量採取し、その注射針様の部分を内部に収めるようになっているらしい。それをまた二重三重に包装できるようになっている。
そんなの、きっと社会人の常識に属するんでしょうね。
私、てっきりタッパーか何かに大量に採取するのかと勘違いしてました。で、早春だったりしたら、蕗味噌とどう区別するんだろうなんて考えてました。アホですなあ。
失礼しました。