凱風舎
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変質的な犯罪者

 

 賞賛を集めている技術的な進歩のすべてがーーそれは、われわれの文明そのものなのだがーーは、まるで、変質的な犯罪者の手にある斧のようなものだ。

 

   ー 『アインシュタイン150の言葉』 (ジェリー・メイヤー&ジョン・P・ホムームズ 編) -

 

 地震でひっくり返った本棚から、あることすら忘れていた本がいろいろ出てくる。
 なんだか化石が出る地層を発掘してるみたいな気分だ。(実はほとんどただの泥ばっかりだったんだが。)
 で、今日引用したのもそんな本。(これは化石。)
 どの言葉も、実に味わい深くておもしろかったのだが(150だから、すぐ読める)、福島の原発のことがある今は、これかなと、思って引用した。

 ただ、これを引用したからといって、なにも私は、原発の建設を推進してきた人々を《斧を手にした変質的な犯罪者》だと言いたいのではない。
 そうではなくて、私が(そしてアインシュタインもたぶん)言いたかったのは、現代を生きているぼくたち一人一人が実はその《斧を手にした変質的な犯罪者》なのだ、ということなのだ。
 技術の進歩による物質的な豊かさや便利さを享受しそれを善しとしてきたのはぼくたち自身なのだもの。
 たぶん、その自覚をぼくたちが持ちえなければ、今回の事故の本当の教訓はないだろうと思う。
 もっとも、

  無限なものは二つあります。
  宇宙と人間の愚かさ。
  前者については断言できませんが。

とも彼は言っているので、あらゆる「教訓」と同じく、このこともぼくらは、無限の愚かさをもってやがて忘れ去るのだろうが、それでも、今、自分もまた、そのような者の一員であるのだという気づきは大切なことだと思う。

 そうそう、彼はこんなことも言っているよ。

  熱いストーブに1分間手を載せてみてください。まるで1時間ぐらいに感じられるでしょう。ところが、かわいい女の子といっしょに1時間座っていても、1分間ぐらいにしか感じられません。それが相対性というものです。

 まさか、これが名高い《相対性理論》だとは思わないけど、この10日間の時間の流れは今までとまるでちがっていたね。
 今はたぶん「ストーブの上に手を載せている時間」なのだろうけれど、今経験しているこの時間を忘れずにいることが、これをぼくらの中で「女の子と座っていた時間」と同じくらい大切な何かに変えてくれるような気がしている。