凱風舎
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チューリップ

 

 もしわたしが怒っているとすれば、わたしはまちがいなくこぶしを握りしめる。これはだれでも知っていることである。ところが、人は一般に、そこから情念を統御する方法を引きだそうとしない。

 わたしたちの肉体は(中略)同時に二つのしかたでふるまえないようにできあがっている。手は開いているか、それとも握っているかのどちらかでなければならない。もし手が開いていれば、握ったこぶしのなかにもっていたすべてのいらだたしい考えを逃がしてやることになる。また、たんに首をすくめさえすれば、胸の鳥籠のなかにとじこめておいた心配は飛び去るにちがいない。  

          

          ー アラン 『幸福論』 (白井健三郎 訳)-

 

 

 今日はチューリップの日。
 別に誰が決めたわけではない。ぼくが勝手にそう決めている。
 今日はチューリップみたいだった女の人の命日だから。
 いつもいつもにこにこ笑っている、そんな女の人。
 だから、毎年今日はチューリップの日。
 部屋にかざる。
 今年も、今日に備えて黄色いのを二日前に買ってたんだけど、お天気がいいから今日も街に出て、新しくピンクのチューリップ、買ってきた。
 うーん。
 こんなおじさんがピンクのチューリップの花束持って歩いてるってだけで、なんとなくこそばゆいような気持ちになる。
 これってなかなか年甲斐もない自意識過剰だけど、でも、なんかワルクナイ気分だよ。
 勝手に頬のあたりがゆるんでくる。

 その人のこと、いつも笑ってた人、って言ったけど、ほんとはよく知らないんだ。
 よく知らないくせにこんなこと書くとバカみたいだけど、でも、きっとそうだったに違いないって思わせた人なんだ。
 そして、そんなふうに思わせてくれる女の人、知ってるぼくはしあわせだな、って思う。
 だって、その人を思い出すと、なんだかこっちもにこにこしてくるんだもの。それだけでいい。
 そのうえ、この年になっても、チューリップ、買えるんだもの!
 すてきでしょ。

 日本全体がなんとなく重っ苦しい雰囲気に包まれてるけど、でも、こんなときこそ、きっと一人一人がニッコリしてないといけないんだと思う。

 ぼくらは自分の心は自在に動かせないけど、筋肉は動かせる。だから動かしなさい、ってアランは言う。
 その通りだと思う。
 口を大きく開けて「イ」とは言えないように、笑った顔をつくって、不機嫌にものは考えられない。
 大事なことは、上機嫌でいることだ。そんな顔をすることだ。
 きっとね。

 今日はぼくのチューリップの日。
 明日あたりをあなたのチューリップの日にしてみてごらんなさい。
 部屋に明るい花があるだけで、あなたの頬の筋肉が少しゆるむよ。
 それは、こんなとき、とても大事なことだと思うんだ。
 真面目な顔なんて、だれだってできるんだもの!