凱風舎
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たった三日?

 午後2時前、日曜日なのに夕刊が届いた。 見れば《特別号外》とある。
 ≪3号機も冷却不全≫という大見出し。福島第一原発のことだ。 本当に怖いことだ。

 東北各県に比べれば小さく見えるが、この地震で千葉県も11人死亡11人行方不明。これは大変な被害だ。

 美樹が住んでいる浦安は液状化で泥田と化し水道もガスも出ないので、こちらの実家に帰っているという。

 幸い私のところは水もガスも電気も来ているが、国道を一つ越えた埋め立て地にある団地は、やはり液状化で水道管が浮き上がったのだろう、いまだに水が来ないらしい。昨日来た理沙さんは、お風呂に入れないと嘆いていた。近くの銭湯は最初の地震で煙突が倒れてしまっている。

 理沙さんは昨日の彼女の文章にあるように本当に「腰が抜けた」そうである。母親と二人パルコにいたらしいが、へなへなと足の力が抜けてぺたりと座りこんでしまったらしい。母親が叱声とともにひっぱりあげてくれてやっと立てたそうだ。
 あすこにも書いてあったが、うちのヤギコも、腰を抜かしていた。私が戻って来たとき鳴くばかりで全く動けなくなっていたのだ。怪我でもしているのかと抱きあげたら、ほっとしたらしく、しばらくすると脱兎のごとく部屋を飛び出して行った。私が留守の間にあれほど揺れて物が落ちる部屋に独りいたのだもの。よほど怖い部屋と思ったのだろう。

  田村君は首都高の上にいたそうである。大地にいてさえあれほど揺れたのだから、高架の上ではただ事でない揺れだったらしい。ハンドルをしがみつきながら  「ああ、死ぬんだぁ」と思ったらしい。彼は夜遅くたどり着いたその足で、ここが心配で覗きに来てくれたのだ。

 俊ちゃんのうちは、私の所よりすごかったらしい。戸棚やクローゼットが倒れ、床にはガラスが散らばっていたそうだ。
 今度4つになる聴(きこゆ)君はとても怖がりになっているらしい。

 けれども、さまざまな不便や被害はあったにしろ、皆が元気なのは何よりうれしいことだ。

 思うに水やガス電気といったライフラインの重要性はむろん言うまでもないが、当初一番思ったことは電話やケータイといった通信手段が持っている意味の大きさだった。ふだん何気なくつながっている相手とつながらないことが僕たちの不安をいやが上にもかきたてるのだ。私のような家族を持たない者でさえ、生徒たちの安否はとても気がかりだったのに、まして家族の安否が不明のままである不安は言いようもないものだったに違いない。つながっているという言葉、昔はバカじゃないのって思っていたけれど、なるほど、そういうことなのかと思った。
 電話回線にスキができるようになって、ありがたいことにたくさんの生徒たち(今のも昔のも)から見舞いの電話があった。 皆、私のことを「独居老人」と思って心配してくれているらしい。(まあ、その通りなんですけどね。)
 でもほんとにありがたいことだなあと思った。