サニーブライアン
二千メートル逃げつづけたる一頭を讃えて萬の手は振られたり
ー 佐佐木幸綱 -
1997年4月13日、僕らは中山競馬場にいた。
4コーナーの芝生の上に席をしつらえると、僕らは腰をおろしてビールを飲んだ。
目の前に青々と広がる芝生を渡る風にはすでに初夏の香りがしていた。
空は青く晴れあがっていた。
皐月賞の日だった。
その日は朝の1レースから二人とも少しも当たらなかった。
けれど、馬が地響きを立てて目の前を駆け抜けるたびに僕らは大声を喚げて馬の名や騎手の名前を叫んでは上機嫌でいたのだ。
なんだよ、あいつ。つかえねーなぁ。
舌打ちをしながら顔は笑っていた。
お祭りの日なのだ。
背伸びをし、大声を喚げ、手を振り回し・・・・そんなことを大の大人がおおっぴらにできる場所なんてそうざらにあるわけじゃない。
ビールはうまく、空は晴れていた。
午後に入っていくつかのレースが当たり、いよいよ皐月賞のパドックがはじまった。
馬券売り場は身動きもできぬほどの人だった。
僕のポケットには朝一番に買っておいた大外18番枠サニーブライアンのそれぞれ2000円の単勝・複勝の馬券があった。
俊ちゃんの本命もまたサニーブライアン。
11番人気。単勝のオッズは50倍を超えていた。
僕らは、人ごみの中、午後当たったお金でそれぞれさらに馬券を買い足した。
中山競馬場の2000メートルのスタート地点は4コーナーにある。
大外18番枠は僕らの目の前になる。
一番最後に、騎手大西直宏をのせたサニーブライアンがその光る大きな馬体を枠に入れるとすぐにゲートが開いた。
競馬場全体から唸るように湧きあがる喚声。
1コーナーに向かう直線で先頭を走るのはサニーブライアンともう一頭の馬。
僕らは叫び続けた。
向正面、いったん先頭をもう1頭の馬に譲るが3コーナーの手前で彼はただ1頭先頭に立つ。
そこから、ぐんぐん引き離す。
僕らは顔を見合わせる。
いけるんじゃない?
彼は馬群を10馬身ほど離し、たった一頭4コーナーを回って行く。
僕らは叫ぶ。
叫びに叫ぶ。
行けー! たれるなー! 行けー!!!
オオニシーィ! オオニシーィ!!
クビ差の勝利だった。
やったー!!
皆、とんでもない穴馬の勝利にただボー然としている中、僕らの周りで大騒ぎをしているのは僕と俊ちゃんだけだった。
あの日競馬場から帰る僕らのポケットにはそれぞれ20万円以上のお金が入っていた。
あれは、僕らのお祭りの日だった・・・。
そんな、サニーブライアンが死んだという知らせが昨日俊ちゃんから届いた。
そうだったのか。
ひとり、しんとした気持ちになった。
悼む、というのではない。
そうではなく、こうやって、今でもあの日のことを鮮明に思い出せるということが僕の気持ちをしんとさせるのだ。
サニーとは僕にとってそんな馬だったのだと思うと心がしんとしてくるのだ。
たぶん、俊ちゃんにとっても、それは同じことだろう。
引用した歌は、そのサニーブライアンの皐月賞の姿をうたった歌。
いい歌かどうかは知らないが、いま読み返してみると、胸に少し熱いものがないわけではない。
これは、あの馬のためのすばらしい挽歌のように思えてくる。