快男児
人はその財産を銘々自身で守るべきは勿論の事、また人の世に交際する上には智愚賢不肖によりて、尊卑の差別も生ずべきはずである。ゆえに賢者は人に尊敬せられ、不肖者は卑下せらるるのは必然のことで、いやしくもやや智能を有する限りは、誰にも会得出来る極めてみやすい道理である。
ー 渋沢栄一 『雨夜譚』 -
先月読んだ中で、一番おもしろかったのは、渋沢栄一の『雨夜譚(あまよがたり)』(岩波文庫)という本であった。
渋沢栄一というのは、明治時代第一国立銀行や大阪紡績会社などを設立した人として高校の日本史の教科書にも出てくる人だから、名前だけは知っている、という人もいるかもしれないが、この本はその人が語った若いころの自伝である。
いやはや、おもしろいのなんの!!
そのワクワク・ドキドキ、下手な冒険小説なんどをはるかに凌駕する。
この人、埼玉の百姓の家に生まれたのに、攘夷を実行させるためにまず同志を募って高崎の城を攻めよう、などというとんでもないことを企てて、幕末という沸騰する時代の真ん中に自ら飛び込んでいく。そんな客気に溢れた青年が、ひょんなことから一橋慶喜の家来になったら、その殿様が幕府の十五代将軍になってしまい、「なんだよ」とがっかりする。(そうなんですよ、この人、自分の殿様が将軍になることに大反対だったんですよ。で、がっかりするんです。おもしろいでしょ。)で、気をくさらしていたら、今度は万博に行く慶喜の弟のお供でパリに渡ることになり、一年ばかり向こうにいたけれど、今度は幕府が瓦解。そこで帰国するや、静岡で百姓をしようと思っていたのに、今度は大蔵省に呼ばれて明治政府の財政の基礎を固めるために働くんだが、最後には辞表をたたきつけて官を去る・・・・・などと、今その大概を書いただけでも、その人生の万丈たる波瀾、あきれ返るばかりだが、何よりもその話をおもしろくしているのは、渋沢栄一その人の魅力なのだ。写真を見れば、たぶんは一五〇センチそこそこと思われるその体に、才知と気概が溢れている。
快男児!
と言おうか、ともかくおもしろかった。
中学校や高校で習う歴史では、徳川時代、農民は搾取され困窮にあえいでいたみたいな、一種の「貧農史観」みたいなのがあるけれど、実態はかならずしもそんなものではなかったことも、この本を読めば生き生きとわかってくる。彼も彼の父親も自ら鍬をふるって土に向かい、蚕を飼い、藍を育てかつ近隣からもこれを買い付け、己の努力と才覚で財を増やしながら、けれども、それを己一個のために使おうなどと思いもしない高い徳性をも培っている。それは何も彼ら親子だけのことではなく、日本各地にそのような豪農や富農といわれる家々があったのだと思う。
それにひきかえ、金が足りなくなれば返す算段もなしに百姓たちに御用金を出させて平然としている領主・武士層の精神的堕落は、徳川の世が瓦解する必然性をぼくたちに教えてくれる。
チュニジア、エジプト、リビア、バーレーン・・・中東各地に広がる政権を倒そうとする民衆の動きに、携帯電話をはじめとする様々な情報機器の発達が持つ役割の大きさは勿論のことであるが、その底流に、徳川の世と同じような社会構造の硬直化があるのだと思う。家柄や縁故によるのではなく、本人の
智愚賢不肖によりて、尊卑の差別も生ずべきはずである
と渋沢栄一が言う、そんな当たり前なことへの思いが、かの地の人々の中にきっとあるのだと思う。