空を飛ぶ鳥
風を積むや厚からざれば、則ち其の大翼を負(の)するや力なし。
[風の集まりかたががじゅうぶん多くなければ、そこに鳳の大きな翼をのせるのには堪えられない。]
- 『荘子』 (金谷治訳注) -
『荘子』という本はとても壮大な話から始まる。
北の果ての海には鯤(こん)というとてつもなく大きな魚がいるんだ。
そいつは、あるとき突然大きな鳥になる。
名前も変わるよ。
鳳。
その鳳はふるい立って南の海を目指すんだが、そのとき、鳳はその大きな翼を羽ばたくには九万里の高みまで上
らなければならない。
なぜって、この鳳はほんとうにとてつもなく大きいんだもの。
ほら、小さな塵や芥なら、杯からこぼれた水にでも浮かべることはできるよね。
でも、こぼれた水の上にその杯を置いたって杯は水に浮かばない。
底が下につい てしまうだろ。
それは浮かべる〈舟〉に比べて水が浅すぎるからなんだ。
それと同じように、とてつもなく大きな鳳を載せるには、とてつもなく大きな大気の厚みがいるのさ。
・・・なんて、まあ、こんなウソみたいな話からこの本は始まるんだ。
でも、なんだか楽しそうでしょ?
そう。なかなか楽しいんだ。
老荘思想、なんて言って、いつも荘子は老子と関連付けられて呼ばれてるけど、『老子』と『荘子』は読んだ印象が全然ちがう。もちろん、学問的なことなんて私にはわからないんだけど、『老子』がなんだかエラソーなのに対し、『荘子』方はいつも、本の中からゲラゲラゲラゲラ笑ってる声が聞こえてくるんだ。
思うに、『荘子』のメインテーマは《スケール》だな。つまり《ものさし》とか《尺度》。
世間の持っている《尺度》を、こいつはとんでもない極大、極小の倍率を持ってきてみんな相対化してしまうんだ。
・・・なんて・・・・でも、ほんとはこんなことを書こうと思って今日の引用をしたわけじゃないんだ。
鳥の話をしようと思ってた。空を飛ぶ鳥の話。
空を行く鳥は、自分が飛ぶことを妨げているこの大気がなければ、どんなに自分は自由に速く空を飛
べることだろう、と思っているかもしれない。
あんまり正確でもないこんな言葉、どこで読んだのだったか、昨日から心あたりの本をいろいろひっくり返してるんだけど、みつからない。でも、これはたしかこんな風に続くんだ。
けれども大気がなければ、そもそも何が空飛ぶ鳥を支えるのだろう。
空気の抵抗があってはじめて鳥は空を飛べるのだ。
地面を歩くとき私たちはその摩擦や抵抗がなければ前には進めない。ボートは、重い水を後ろに押しやることでしか前には進めない。鳥もまた空気の抵抗を揚力に変え、その抵抗を推進力にして空を飛ぶのだ。
それがなければ、どんな楽に進めることだろう!と思われる摩擦や抵抗こそが、実は、私たちが前に進む力を与えているとは何という不思議なことだろう。
生きていくうえで生じる、さまざまなわずらわしいことや面倒なこと、けれども、ひょっとしてそういった物事たちこそが、ぼくらに前へ進む力を与えてくれていたのではないだろうか。
・・・なんて人生訓じみたものなんぞを語っていると、荘子さんに、ゲラゲラ笑われてしまいそうだけど、でも、俊ちゃんの翼の下の大気はまた分厚くなるらしいからね、きっと彼は今まで以上に遠くまで飛んで行ける翼を持つに違いないよ。