本気?
愛する人への贈物は、たぐいなき興奮、ほとんどオルガスムスかと思われる興奮のさなかに探し出され、選ばれ、買い求められる。あの人によろこんでもらえるだろうか、失望させないだろうか、あまりにも大層な贈物だと思われて、このわたしが錯乱に、あるいは罠に、捉えられていることを暴露するはめにならぬだろうか。そこのところがさかんに計算される。
ー ロラン・バルト 『恋愛のディスクール』(三好郁郎訳) -
バレンタインの日である。
むかし、金沢に帰るたびにわれらが宗匠・前野狼騎氏のもとで仲間内の句会をやっていたとき
本気チョコ一つだけでも俺に来い!
などという迷句を作ったのは畏友・正人氏だが、この句はおじさんたちのハートをいたく刺激したらしく、その場でかなりの高得点を獲得していた。(私もまたこれに一票投じたこと、論をまたない!)
とはいえ、こないだの新聞によれば、このごろは「本気」も「義理」もなく、女性同士の「友チョコ」というのが全盛の時代らしい。
まあ、それはそうだろうなあ。
こんなにケータイやメールが普及しているとき、わざわざチョコレートで初めて愛の告白をする、なんて古風なことはだれもしないだろう。
たしかに塾の女生徒達を見てても、このごろは女の子同士で手作りクッキーの交換なんかしてるだけで、男の子の方はただそのおこぼれに預かっているだけ、といった感じだものなあ。
そういうのを見てると、たとえば上野さんたちが中学生だった頃の、あの熱気に満ちたこの日がなんだか懐かしくなるな。
あるいは、部活帰りの男子の帰りを待ち伏せ、あるいは、その人の家の前をうろうろした揚句、意を決してチャイムを鳴らしてチョコを手渡す・・・などという一世一代の《冒険》を終えた女子たちの目は皆一様に輝きを帯び、その鼻の穴もまた興奮で少々ならずひろがっていたものであった。
まことに 愛する人への贈物は、たぐいなき興奮 でございましたな。
それが、いまや淡々たるものですからね。まあ、裏に回ったら結構気合を入れてるのかもしれないけど、こうやって、まためでたきハレの日が、だんだん日常と区別ない日になっていきますな。
いまや、チョコは愛を告白する道具ではなく、その人との親密さを確認するアイテムにすぎなくなってきたらしい。
まあ、たしかに、引用のバルト氏の言うような
あの人によろこんでもらえるだろうか、失望させないだろうか、あまりにも大層な贈物だと思われて、このわたしが錯乱に、あるいは罠に、捉えられていることを暴露するはめにならぬだろうか。
などという、胸が締め付けられるような思いなんて、まあそんなに何度も人生で味わうわけにもいきませんものね。
そんなとき選ばれる贈り物は、実は自分自身の身体や心の代役なのだもの。
本当は自分自身にリボンを巻いて
Present for You !
と言って相手に差し出したいという思いを、プレセントする物に託すなんてこと、そうあるもんじゃありませんからね。
今の時代《本気チョコ》もまた相手との親しさの確認がそのメインテーマになっているのだとしたら、これまた、一種の義理チョコであるのかもしれません。