凱風舎
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エジプトとAKB

 

 DEAR MR SPENCER [he read out loud].That is all I know about the Egyptians.I can’t seem to get very interested in them although your lectures are very interesting.

 [ スペンサー先生(この人は大きな声で読み上げたんだ)。これがぼくがエジプト人について知っているすべてのことです。あなたの講義はとても面白かったんですけれど、ぼくはあの人たちにあまり興味が持てそうにもありません。]

     ー J.D.Salinger “The Catcher in the Rye” ー

 

    去年、大阪のはずきさんが
  「いま、英文学の講義で “The Catcher in the Rye”を読んでるの」
とイバッテいた。
 「けっこう、おもしろいですよ」
と言うのだ。
 ホントかねぇ。
 それって『ライ麦畑でつかまえて』だろ。
 あれはほとんど化石時代ぐらいの大昔、つまり、私がこの小説の主人公と同じくらいの年齢だったときに読んだことがあるだけなんだけど、なんだか
   ずいぶんイケスカナイ野郎だなあ、こいつ
って記憶があるだけ。
 でも、はずきさんがそういうんだものな、ホントはまあ「けっこうおもしろい」のかも、なんて思っていて、その後しばらくして本屋に行ったら、彼女が読んでるらしいペーパーバックスが目についたから、買ってしまった。
 そのとき、日本語訳じゃなくて、英語版を買ったりしたのは、まあ、これは見栄です。
 言うまでもないことだが、私、英語の本なんてスラスラ読めやしない。大石君みたいに、
   ビールを飲みながら横文字
なんて芸当は、できない。
 にもかかわらず、英文のを買ってしまうっていうのは、これは、もちろんミエです。(今日、わざわざ、英語を載せてみたのもね。)
 でもまあ、これでも私、大石君やはずきさんの英語の先生《でもあった》こともあるわけですからね。
 一応彼女が帰ってきたとき、
  「あの小説はだねぇ」
などと、原書を手に、能書きを垂れてみようかと思ったわけです。私、先生ですから。
 で、まあ、ヒマにあかせてたらたら読んでみたんですけど、だんだん腹が立ってきて、半分くらいで読むのをやめてしまった。むろん、それは私の英語を読む力がないからってことも、相当大きな要因なんだけど、でもね、やっぱり、こいつは私の記憶以上にイケスカナイ野郎だったんだな。
 多分に、これは私がおじさんになったせいでもあるんですが。

 この本、村上春樹あたりが、自分で翻訳なんかして宣伝してるから、
  これは実はいい小説なのだ、
なんて思いこまされている人もいるかもしれないけど、少なくとも私に言わせれば、この主人公の「ぼく」というのはとんでもなくクソ生意気なガキなのだ。
 彼がいかにイヤ味でツカエナイ奴かということを書き始めると長くなるし、そのうえどんどん私の機嫌が悪くなってくるから、書きたくはないんだけど、昨日のエジプトつながりでひょいと今日の引用の部分、思い出してしまったのが運の尽き。思い出した以上書きたくなる。(勝田氏からはあんまりグダグダ理屈をこねまわす長い文章はやめなさいって言われてるんだけど)。

 引用の部分は、小説のはじめの方で、高校を退学処分になった主人公が、先生の家にに呼ばれて、その先生が彼の書いたレポートを読み上げるところなんだけれど、こんなレポートを書く高校生がいかにツカエナイ奴かは、すぐにわかる。
 つまりね、こいつは、言ってしまえば、自分の価値観でしかものを見ていないってことなんだ。
 ガキのくせに唯我独尊。
 まあ、今「ガキのくせに」って書いたけど、こういう唯我独尊なんてのは、ガキのころにしかなれないものだし、それに、16・17なんて生意気ざかりだから、大人の言うことなんて全然あほらしいと思ったりするもんなんだけど、でも、先生に向かって
    ぼくはあの人たちにあまり興味が持てそうにもありません。  
なんて書くなよ!
 わしがこいつの先生だったら言うね。

   君の「興味」なんてものには私はまったく興味がありません。
   君みたいな人を《夜郎自大》って昔の中国の人は言ったもんですけど、もちろん君には「興味はない」でしょうね。
 
 私も彼同様、エジプトに関しては、ネコと言う名前の王様がいたことぐらいしか知らないし、さほど興味もないけれど、でも、こいつとわしは違うだろう、と思う。
 こいつには、自分の知らない世界に対する敬意とか畏れといったものが全然ない。こいつの《世界》は自分の好悪の感情だけで構成されてしまっている。それは世界とは言わない。
 そのことの何が悪い!
という反論はむろんあるだろうが、そう言うのを世間では《ガキ》と言うのだとしか私は言えない。なぜなら、私は大人だからだ。
 そして、たぶん、
  《ガキ》でありつづけることはみっとむないことなんだよ
ということを子どもに向かっていつでも言いつづけるのが大人なのだ。

 さて、私はAKBとかいう人たちに《あまり興味を持てそうにありません》が、一方うちの塾の生徒たちの中には、AKBとやらのメンバーの見分けはできても、エジプトとギリシアの区別がつかない子がたくさんいる。もちろん、それは彼女たちは私の話を聞いても、なかなか世界の地理や歴史に興味がもてないからなのでしょうが、AKBのことだろうが世界の地理のことだろうが、それが知識であることに違いはないじゃない、とは、私は言わせない。
 私、彼女らに言うんです、
 「じゃあ、わしが、おまえらと一緒になって、うふふ、とか笑いながら、AKBのなんとかちゃんって、かわいいよねえって言ったら、おまえら、どうする?」
 「キーッ!キモッ!!」

 ね、《ガキ》でありつづけることは、みっとむないことでしょ。