凱風舎
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セロ弾きのゴーシュ

寺西先生のお家にお邪魔すると、ひっきりなしにいろんな人が入れ替わり立ち替わりやってくる様子を目にします。
試験を控えた受験生、学期末試験の勉強にくる高校生、彼女ができたと報告にやってくる青年、いい大人になった凱風舎の卒業生たち…。そんな様子をみていたら、ある時ふと、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を思い出しました。
もちろん先生はゴーシュのように「うるさいなあ」などとは言わず、勉強を教えたり、悩みをきいたりして生徒たちを歓迎してくれます。

先生のお家にお邪魔していたある時、全身から笑顔あふれる19歳の青年が、将来についての悩みを抱えて先生のもとへやってきました。

演劇が好きで、演劇の学校へ通い勉強中であるが、将来のことを考えると定職につかないままでいいのか、無駄な道を歩いてしまっているのではないかと、悩んでいる様子。
そんな悩める彼に、

「エンジンさえついていればどこにだって行けるのだから大丈夫。目的地にたどり着くまではどんなに回り道をしたってかまわないんだよ、その回り道さえも財産になるんだから。」

とアドバイスをされる先生の言葉を、「そうそう、そうだよね~」なんて自分にも言い聞かせながら、「悩める若者っていいなぁぁぁ」なんていっぱしの大人ぶって、彼の倍の人生を生きている私は、そんな様子をほほえましく見守っていたのでありました。(それにしても…自分が19歳だった時、将来のことなんて、私たちなぁぁぁんにも考えてなかったよね、美樹ちゃん?)

そんなこんなで思い出し、久しぶりに読んだ「セロ弾きのゴーシュ」。宮沢賢治の童話の結末は、いつ読んでも、私を切ない気持にさせるのでした。

その晩遅くゴーシュは自分のうちへ帰って来ました。そしてまた水をがぶがぶ呑みました。それから窓をあけていつかかっこうの飛んで行ったと思った遠くのそらをながめながら
「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」と云いました。

「セロ弾きのゴーシュ」 ―宮沢賢治

やまだまゆみ