「たいです。」は、「やめてもらいたいだ。」
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
- 宮沢賢治 『原体剣舞連(はらたいけんばいれん)』 -
千葉県の公立高校の前期の入試と言うのは、今月の15・16日に行われるんだが、一日目は学科試験、二日目は面接のほかに各校ごとに作文やら、特技の実施がある・・・らしい・・・と、塾の先生のくせに、私、かなりあやふやなのに驚く元生徒はいないだろうが、われながら、なかなかヨワッタモノだ。
とはいっても、まさか、私がクラリネットの演奏や各種運動競技についてあれこれ言えるわけがないから、まあ、私にできることは、作文の指導ぐらい。
で、生徒たちが書いてきた作文を見るのだが、毎年必ずいるんですな、こんな文章を書いてくる子が。
「私は高校に入ったら、勉強も部活も頑張りたいです。」
うーん、あんたの頑張りたい!という、気持ちはわかる。
気持ちはわかるが、なんなんですかね、この「・・・たいです。」というのは?
子供らには言うんです。
「『…たいです』っていうのはね、実は日本語じゃないだぜ。みっとむないからやめといた方がいいよ」って。
でも、これ、うちの生徒たちばかりじゃない。
小学生あたりだと、何かをみんなの前で発表するとなると、緊張のあまりか語尾の多くがこの
「・・・したいです」
になる。小学生あたりは、まあしょうがないけど、スポーツ選手のインタビューなんかでもこんな言い回し、時折耳にします。そのたびに、私、気持ち悪い思いをしてるんですが、これは何も、ただ単にこの言い方が私の感性に合わない、と言うておるのではないんです。これは、明らかに日本語の文法を外れた言い回しだから言うとるんです。
「です」というのは、断定の助動詞「だ」の丁寧表現です
それが証拠に、私がいまさっき書いたばかりの文章は、
《 そのたびに、私、気持ち悪い思いをしてるんだが、これは何も私の感性に合わない、と言うておるのではないんだ。これは、明らかに日本語の文法を外れた言い回しなんだ。》
と、言い換えることができます。でも、先ほどの生徒の作文をこの方法で置き換えてみると
「私は高校に入ったら、勉強も部活も頑張りたいだ。」
となってしまう。
こんな日本語、ないでしょ?
形容詞型の活用をする語に、直接断定の助動詞はつけないというのが正しい日本語です。もしつける時には、用言を体言化させる「の」という語を間に挟んであげる。
「かなしいだ」ではなく、「かなしいのだ」みたいにね。
とはいえ、こんな文章をたくさんの子供たちが書くのはなぜなんでしょうかねえ。
日本語には形容詞と同じようにも様態を表すもうひとつの品詞、形容動詞というのがあって、これは終止形が「静かだ」「きれいだ」と、「だ」で終わる。これを丁寧に言うと、「静かです」「きれいです」となる。たぶん、これにひっぱられて形容詞にも「楽しいです」「きたないです」という言い方もできてきたんでしょうね。でも、だからといって「たのしいだ」とか「きたないだ」なんていったら、「田舎者だ」と言われてしまいますけどね。
だから、「です」は「だ」の丁寧表現という前提がもう違ってきているのかもしれませんね。
とはいえ、形容詞を丁寧にいうときの「おかしいです」が許されるなら、形容詞型の活用をする「たい」に「です」をつけても別にいいじゃんとは私は思わない。、小学生はともかく、いい大人が「・・・したいです」は変でしょう。
子どもたちが書く作文に、この「たいです。」表現が出てきたとき先生が一言
こういう言い方は、少し、ヘンテコリンなんだよ
と、言ってあげればいいのにって、私思ってるんですがね。
ちなみに今日の引用は宮沢賢治の詩『原体剣舞連』の冒頭及びその途中、そして最後に出てくる、たぶん剣舞の合間にかかる掛け声の音をローマ字にうつしたものです。
で、これを読むときには腹にいっぱい力を込めて、
ダー。ダー。ダー。ダー。ダースコダーダー
と一気に朗読すべきところです。(特に後半のダースコダーダーの部分は素早く)
というわけで、これはただ、「だ」 という音だけから思いついただけの引用なんですけどね。
ところで、どうしても「・・・たいです。」と書きたくなった時には、「…したいと思います。」と書くのが、正しい日本語でしょうね。