凱風舎
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金沢は大雪

   ひとすぢに逢ひたさの迫りて
   酢のごとく烈しきもの
   胸ふかくすぐるときなり。
   雪くると呼ばはるこゑす
   はやくも白くはなりし屋根の上。

         - 室生犀星 『雪くる前』 -

 美菜さんのメールに驚いて、さっき勝田氏に電話をしたら金沢は60センチほどの積雪らしい。
 雪は、しんしんと、しんしんと、今も降り積もり続けているらしい。
   なつかしい
などと言えば、今の雪国の人々の顰蹙を買うであろうが、それでもやはり何かなつかしい気がする。
 そんな雪を踏み立てて、新聞配達を毎朝やっていたなんて、今の私には到底想像もつかないが、そんな不都合があってさえ、それでも雪の朝はどこか心躍りする気持ちになったのは、あれは、私が若かったせいだけなのだろうか。配達の終り近く、だれも踏みしめたことのない雪が積もった田中の道を歩いているとき、そこに差してきた朝日が、真っ白な雪の原に、雪を積んで太くなった電線の影を不意にくっきりと落とした様子など、今でも鮮明に覚えている。
  犀星が詩に書いた
   逢ひたさの迫りて / 酢のごとく烈しきもの  / 胸ふかくすぐる
などという恋のせつなさなど、私にはもう遠いものだが、故郷の雪の便りを聞けば、それに似た思いがほのかに胸にきざすのはなぜなんだろう。
 今年になって雨らしい雨も降らないこんなにも乾いた首都圏に住んでいると、金沢のあの湿り気を帯びた冬の空気が無性になつかしくなるというだけなのだろうか。別に心までが乾いているとは言わないが、ただ自分が生まれ育った風土が持つあの湿り気が、自分の感性の根幹の大きな部分を占めているのだなという気はする。

 ところで、勝田氏の話によると、この頃は雪かきをする若者というのはほとんどいないそうである。
 いったい、どうなっているのであろう?