エンマさまの鏡
古代スパルタ人は、祭礼の際、奴隷に多量のどぶろくを無理やり飲ませて、それを公宴の席のさらし物とし、酔っぱらいとはどんなものか、青年たちの見せしめとしたものである。
ー プルターク 『英雄伝: デミートリアス』 -
この前の飲み会は、わたくし、無事に自らの二本の足で歩いて部屋に戻れました。
そんなの、あたり前じゃないか!
と言われそうだが、私にとっては、なかなかこれがあたり前じゃない。
実は毎年誕生会と言えば、私、必ず、と言っていいほど記憶がないほど飲んで、朝、二日酔いの頭痛に耐えられず目を覚ましてみたら、なぜか自分の部屋の布団に寝ていた・・・ということが続いていたのですなあ。
それはもちろん、なにも、奴隷の存在しない現代において、自らがプルタークが言うところのスパルタの奴隷の役を買って出て、若き教え子たちに、
酔うことがいかに愚かしくも醜いことであるか!
ということを見せよう!・・・などという殊勝な教育的配慮から出たものではない。要は、年に一度のお祭りに、ただただ楽しく、ただただいい気になって、飲みすぎていただけなんです。
まあ、ヒドイモノデス。
さて、話は飛びますが、地獄には閻魔さまがいるのだと、子供のころ聞かされていました。
エンマさまは大変コワイ。
なにしろ、ウソをつくと舌を抜かれるのですからね。
それのみならず、エンマさまの座っている後ろには大きな鏡があって、そこには生きている間に自分がやったイケナイコトがすべて映し出されるのだと聞かされたものです。
コワイコトデス。
それまで、かあちゃんのガマグチから時折十円玉をひそかにくすねて、知らん顔でアイスキャンデーなんぞを頬張っていた私は、ほんとにおびえたもんです。
ボクハ ゼッタイ ジゴクニ オチル!
もっとも、大人になって眺めた『地獄草子』には閻魔さまは出てこないし、こわーいこわーい地獄のことを、これでもか、これでもかと書いてある源信の『往生要集』にも閻魔大王は地獄界ではなく畜生界にいることになっていて、別段そんなコワイ鏡の話も出てこなかった。だから、そんなこと忘れてた。
でもね、あったんです、そのエンマさまの鏡。しかも、この現世に!
実は、去年の飲み会のこと、そのときの様子を、だれかが私のカメラで動画でとってたんですなあ。主役は酔っぱらった私です。
そんなこと知らなかったから、何日か経ってカメラを覗いた私、ビックリしました。
というか、鏡の前に座らされた筑波山麓の四六のガマみたいに、己が姿の醜さに、タラーリタラリと冷や汗が流れてきました。
それまでだって、酔っぱらって撮られた写真はたくさんあったんですが、こいつは動いてますからね。そのうえ声まである。聞いても意味あることなんて何一つ言ってない。ただオダを上げてるだけです。醜いもんです。ひどいもんです。
で、その時わかったんです。
動画って、実は、エンマさまの鏡だったのね。
あまりの恥ずかしさに、その画像、消去しようかと思いましたが、やめました。だって、自分の醜さを思い出せるものを持っておくのはきっとわるいことではないからです。特に私みたいにすぐに図に乗る男にはね。《ガマの膏》ぐらいには効くかもしれない。
と、いうわけで、それがきいたかどうかはわからないけれど、今回は私にしては上出来の誕生会だったような気がします・・・・です。