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レイジィ大石君

2014/11/25~2014/11/30

2014/11/25(火)
18:15仕事上がり。
「我が家のおバカで愛しいアニキ」(2011年米、ジェシー・ペレンズ監督)。DVD。
アメリカで公開当時に結構話題になってた映画。最近DVDが出たらしくTSUTAYAで借りてきた。
人をすぐに信じてしまうお人好しのバカ兄貴ネッドをポール・ラッドが演じている。
ネッドと彼に振り回される3姉妹の話。
ネッドのキャラクターは「白痴」のムイシュキンがモデルになっているという噂。
ムイシュキンっぽい人の良さが前面に出ている。
話は基本的にコメディだけど、普段ポール・ラッドが出ているようなドタバタコメディでは無くて、それよりもうちょっとドラマより。
面白かった。

2014/11/26(水)
17:30仕事上がり。
「ニシノユキヒコの恋と冒険」(2014年日本、井口奈己監督)。DVD。
川上弘美原作の小説を映画化したもの。小説は読んでいない。
やたらと女の子にモテるが、最後はいつもふられてしまう男ニシノユキヒコを竹野内豊がやっていた。
何と無く、納得してしまった。
何を納得したのかはよくわからないんだけど、なるほどそういう事かと。
ちょっとニシノユキヒコに感化されている。
非常に興味深い内容だった。

2014/11/27(木)
17:30仕事上がり。
有楽町へ移動。
18:40「プリンス」(2014年イラン・ドイツ、マームード・ベーラズニア監督)@フィルメックス(有楽町朝日ホール)
当日券1800円。高い。お金無いのに。
イラン映画で主役に抜擢されたアフガニスタン人青年のその後を描くドキュメンタリー。
1997年タリバン政権下のアフガニスタンからイランのテヘランに逃れたジャリル・ナザリはそこでアフガニスタンを描いたイラン映画の主役に抜擢される。
ジャリルが出演した「ジョメー」(2000年イラン、ハッサン・イェクタバナー監督)は2000年のカンヌ映画祭に招待される(カメラドール受賞)。
ジャリルはパスポートの関係でフランスへの入国はできなかったが、その後開催された、ハンブルグ映画祭への出席が叶う。
しかし、密入国でイランに住んでいた彼はイランを出たら最後、再びイランへの入国は出来なくなってしまう。
イランに変えることもできずドイツに足止めを食らってしまった彼が、難民申請をするために施設に入れられたり、施設から抜け出して新聞の売り子のバイトをしたりしながら何とかドイツで暮らしていく姿を「ジョメー」でジャリルと共演したマームード・ベーラズニア(この人はドイツに住んでいて、テレビドキュメンタリーを撮ったりしていた人らしい)が2000年から2013年にかけて事ごとに写して行った作品。
監督の内面には、アフガニスタンやイラン、ドイツの社会情勢に対する怒りがあるのだろうが、そこを主題とするのではなく、状況に翻弄されながらもなんとか生きていくジャリル青年の姿が主題となっている。
「ジョメー」を見れていないのでどうかなと思ったが、見ていなくても大丈夫。
非常に興味深い内容だった。
(劇中でジャリル青年が2012年のハンブルグ映画祭に行って、キム・ギドクのスピーチを聞くシーンがあり、そこでキム・ギドクが「アリラン」を歌っていた。その前の年のカンヌでもスピーチで「アリラン」歌っていたらしい。「プリンス」とは関係無いけど。)

2014/11/28(金)
月一回の帰社日。
日本橋の本社に戻り、世にも不毛な時間を耐え忍んだのち、22:00過ぎに帰宅。
録画していた「ハナ 奇跡の46日間」(2012年韓国、ムン・ヒョンソン監督)を見る。
この映画見るの2回目。
やっぱ、面白い。
1991年、幕張のコンベンションセンター(その頃はまだ幕張メッセとは呼んでいなかったらしい)で開催された世界卓球で韓国と北朝鮮の南北統一チームの話。
北朝鮮のエース、リ・プニをぺ・ドゥナが演じている。

2014/11/29(土)
9:35「フューリー」(2014年米、デイビッド・エアー監督)@TOHOシネマズ日本橋
第二次世界大戦末期、コリアー軍曹(ブラッド・ピット)率いる戦車部隊5名が敵地ドイツで戦いを繰り広げる話。
「これが戦争だ!これが本当の戦争なんだ!!無残だろぅ!」
という気合いが入りまくっていて、ちょっとうるさい。
最後は、男の感動友情ものになる。
入隊8周目の若者が、ブラッド・ピットの元に配属されて、激戦地を巡るという、地獄めぐりの話。
最初は甘っちょろいひよっこで舐められていた少年が最終的に、あだ名をつけられ、一人前認められる。
(この書きぶり、皮肉めいているが、別につまらない映画だったわけじゃ無い。
なんでこんな書き方になるんだろう?)
その後13時過ぎより、会社の行事があり、本社で3時間ほど。非常に嫌な気分になる。
16:00前に終わり、あいている店を探して飲む。
19:00前くらいまで飲んだのち、雀荘に行き、麻雀をする。
だいぶ久しぶりに麻雀をした。点数を数えられないので、そこは他の人に任せて、22時過ぎまで。
フリードリンクのコーヒーを飲みすぎておなかがタプタプ。

2014/11/30(日)
10:00「ONE ON ONE」(2014年韓国、キム・ギドク監督)@フィルメックス
組織に所属し、それが組織から与えられた仕事だからと、何も考えず(悪いことをしたとしてもそれは命令されてやったことで、責任は命令したほうにあると考え)に起こした事件が引き起こす因果の話。
映画は、ある事件の描写から始まる(劇中で何度も「去年の5月9日」と言及される事件)。
1年後その事件にかかわった者たちが、テロリストグループにより、次々に拷問にかけられて行く。
テロリストグループの構成員が、韓国社会の底辺でいろいろな抑圧を受けている者たちで、彼らをいじめる役が、映画で最初に拷問される役を演じていたキム・ヨンミンという一人の役者によって演じられている(1人8役らしい)。キム・ヨンミンの役はそれだけではなく、テロリストグループのリーダーが出会う出家したお坊さんの役なんかもやっていて、一人の役者によって別々の役が演じられるということで物語の寓話性が高まっている。
ラストシーンが衝撃的。
自分たち、一人一人が、苦痛を引き受けて行かなければいけないという終わり方。

上映後キム・ギドク監督によるQAあり。
(韓国では)政治家が行う行為が失望を生むことになるが、それは政治家1人が悪であるからそうなるのではなく、それにかかわる自分自身も含めた各自が程度の差こそあれ卑怯であるからそうなるのである。
「北朝鮮よりましだよ」(劇中にあったセリフ)という態度で思考停止になり、我慢したり、そのことによって犯してしまう行為がもとで苦しみが延長する。
贖罪、また、痛みの後の救済について。痛みを悟るのが人生だと思っている。解決策は自ら内面を見つめるしかない。
テロリストグループは復讐しているように見えて、復讐する自分自身を振り返る構造になっている。

来週末日本公開予定の「メビウス」については、これは「ペニスの旅」映画だと言っていた(なんのこっちゃ)。

15:20「ツィリ」(2014年イスラエル。アモス・ギタイ監督)@フィルメックス
冒頭、真っ暗なスクリーンの左手に1人の女の姿が映し出される。
その女がバイオリンの音に合わせて身体をくねらせたりしながら踊り出す。
真っ暗なスクリーンに浮かび上がる彼女の姿が美しい。
彼女が動きを止めた時、「TZILI」というオープニングタイトルが表れる。
この素晴らしいオープニングから始まる本編にはストーリーに対する説明らしい説明が無く、しかも時勢が混同していたり場面が大胆に切り替わったりして、わかりにくい作りになっている。
第二次世界大戦頃、ナチの手を逃れて森に逃げ込んだユダヤ人少女ツィリを主人公に、森で彼女に出会う同じくユダヤ人青年マレクとの話や、戦争が終わったのち、収容所から解放されたユダヤ人の話。
これらが、(おそらく)ツィリの回想として、回想のままに描かれている。
分かるように作られていないので一見して全て理解できるものでは無い。
かと言って、つまらない映画かと言うとそうでは無く、大変面白いと思った。
ほとんどのシーンで「これはなんなんだろう?」と考えてながら見ていた。
アハロン・アッペルフェルドと言う作家の同名のヘブライ語の小説が原作。
日本語版はなかったけど、英語版はアマゾンにあったので読んでから、もう一度見たいなと(どっかで公開されるのかな?)。
上映後、マレクを演じていた俳優の人が登壇してQA。
彼によると、これはウクライナの話らしい。
全編、イディッシュ語によって作られている(ずっとこれは何語なんだろうかと思っていた)。

18:20「西遊」(2014年フランス、台湾、ツァイ・ミンリャン監督)@フィルメックス
「ピクニック」のツァイ・ミンリャン監督作。
めちゃくちゃ面白い。
朱色の袈裟を着て丸坊主にしたリー・カンションが実際のマルセイユの街をゆっくりゆっくりゆーっくり歩くのを定点カメラでずーっと撮っている。
画面右端からリー・カンションがゆっくり表れて、街中をじわじわじわじわ移動して行って、左端に消えていく。
あるいは、室内でベットに座ってこちらを見ている男がしばらく映っている。と、彼の後ろにある窓の端から、ちらりと朱色のものが見えたと思ったら、じわ、じわ、じわとリー・カンションが現れ、ゆっくり、ゆっくり移動して行く。その間ベッドに腰掛けた男はじっとこちらを見ている。
街中をゆっくり歩くリー・カンションが日常として流れる時間とは別次元の時間を表現している。別次元の現実・時間が、マルセイユの街中で同時に発生している。ここで日常の時間とリー・カンションの時間の架け橋になるのは、子どもの時間であろう。

上映後、ツァイ・ミンリャン監督とリー・カンションが登壇してQA。
これは、シリーズものの一つらしい。
2011年台湾国立劇場でツァイ・ミンリャンが演出したリー・カンションの一人芝居で、25分から30分かけて、ステージの左から右へ歩くと言う趣向をリー・カンションが考えついたことに始まり、2年間で6作品、マルセイユの他に香港やマレーシアなどで撮っているらしい。
三蔵法師がお経を求めて旅をするイメージが監督の中にある(だから「西遊」)。
現代の歩行はその速度が早すぎる。この早さは、思考を伴わない速さのように思える。
この映画では2つの時間を撮ったつもり。日常の時間とリーカンションのゆっくりとした時間。