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凱風通信

《徒然草》  第五十一段

 

亀山殿の御池(みいけ)に、大井川の水まかせられんとて、大井の土民におほせて、水車(みづぐるま)を作らせられけり。
多くの銭(あし)を給ひて、数日(すじつ)にいとなみ出だして、かけたりけるに、おほかた廻(めぐ)らざりければ、とかく直しけれども、つひに廻(まは)らで、いたづらに立てりけり。
さて、宇治の里人を召して、こしらへさせければ、やすらかにゆひて参らせたりけるが、思うようにめぐりて、水を汲み入るる事めでたかりけり。

よろづに、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。

 

後嵯峨上皇の建てられた亀山殿の御池に、桂川の上流の大井川の水を引こうというので、大井の地元の者たちに仰せつけて、水車を作らせた事がありました。
たくさんのお金をやって、幾日もかけて水車をこしらえあげて、川にかけてみましたが、まったく廻りませんでしたので、あれこれと直したけれども、結局廻る事もなく、まったくの役立たずのままそこに立っておりました。
そこで、水車を造ることにたけている宇治の里に住んでいる人たちを呼んで、こしらえさせたところ、やすやすと組み立ててさしあげたのですが、思うようにくるくるまわって、それが水を汲み入れることはまったく見事なものでした。

どんなことでも、その道をよく知っている者というのは、たししたものであります。

 

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この章段は、高校一年生の教科書の多くに採られています。

なるほど、これは教科書向きですな。
事柄がポーンと放り出されているのではなく、具体的事例を書いた後に、それに対する筆者の意見が、ちゃんと書かれている。
わかりやすい。
しかも、「どんなことでもその道の専門家ってのはえらいもんじゃなあ」というその感想は、現代でも通用するものですから、高校生でも納得する。
教科書編集者たちもちゃんと考えていらっしゃる。
まあ、彼らも《その道を知れる者》ですからね。

ところで、「水をまかせられん」という言葉が出てきますが、この「まかす」は「水を任す」のであって、なにも夏の打ち水のために「水を撒かす」のではない。
でも、なんで「水を任す」というのが「水を引く」ってことになるのかしら、と思って辞書を引くと、その最初のところにこう書いてありました。(岩波古語辞典)

まかせ[任せ]  (物事の進行を、他の自由な意志・力のままにさせる意)  

な~るほどね。
「水を引く」ということは、たしかに、高いところから低いところにしか行かない水の性質に任すしかありませんものな。