凱風舎
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凱風通信

風の日

 


いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。

 

― 長田弘 「世界はうつくしいと」―

 

朝から風が強い。
この時間、台風は、まだはるか西の洋上にいるはずなのだが、風は、去年の夏から下がったままの古すだれをたえず部屋の窓に打ちつけ、時折電線をうならせるほどに強く吹く。

ゴミを捨てに外に出たら、角の家のお父さんが、夏蜜柑の枝を切っていた。
挨拶をしたら、笑顔で
「いかがです?」
と、花のついた一枝をくれた。

その一枝が部屋をよい匂いで満たしている。

そんな部屋で、今日も長田弘さんの詩集を開いていた。

たとえばこんな詩を読む。

 

なくてはならないものなんてない。

いつもずっと、そう思ってきた。

所有できるものはいつかは失われる。

なくてはならないものは、けっして

所有することができないものだけなのだと。

日々の悦びを作るのは、所有ではない。

草。水。土。雨。日の光。猫。

石。蛙。ユリ。空の青さ。道の遠く。

何一つ、わたしのものはない。

空気の澄みきった日の午後の静けさ。

川面の輝き。葉の繁り。樹影。

夕方の雲。鳥の影。夕星(ゆうずつ)の輝き。

特別なものなんてない。大切にしたい

(ありふれた)ものがあるだけだ。

素晴らしいものは、誰のものでもないものだ。

真夜中を過ぎて、昨日の続きの本を読む。

「風と砂漠のほかは、何も残らない」

砂漠の歴史の書には、そう記されている。

「すべて人の子はただ死ぬためにのみ

この世に生まれる。

人はこちらの扉から入って、

あちらの扉から出てゆく。

人の呼吸の数は運命によって数えられている」

この世にあることは切ないのだ。

そうであればこそ、戦争を求めるものは

なによりも日々の穏やかさを恐れる。

平和とは(平凡きわまりない)一日のことだ。

本を閉じて、目を瞑(つむ)る。

おやすみなさい。すると、

暗闇が音のない音楽のようにやってくる。

 

               (「なくてはならないもの」)

 

この詩にある《日々の穏やかさ恐れる》者たちが、今日、「集団的自衛権」をおし進める会議をしたと、夕方のニュースが告げていた。
もちろん、そんなものは「なくてもよいもの」だ。